先日、長野駅構内の留置線に置いてある211系のダブルデッカーサロを光線状態の良い時に撮影し直そうと線路伝いに辿っていたところ、不意にE351系の回送列車が姿を現しました。

車両は松本電車区〔長モト〕のS24編成(←長野 クハE350-4+モハE350-4+モハE351-4+クハE351-4 松本→)で、長野から篠ノ井方面へと走っていきました。



▲ 長野駅を出発し、ゆっくりと速度を上げていくE351系S24編成単独での回送列車。松本(新宿)方の先頭車の連結器カバーが外されているのが普段と違う点でしょうか。



▲ かつては大糸線内への乗入れの際、貫通型の前面を先頭に本線上を走る姿を見ることができましたが、今ではこのような場面でしか見ることができなくなっています。


恐らく、長野総合車両センターから出場した車両の所属区までの復帰回送であると思われますが、8月10日(土)に山梨県内の中央本線で発生した踏切事故との関係があるのかもしれません。


3月16日(土)のダイヤ改正から、JR東日本長野支社管内において、“都市近郊型通勤電車”(byJR東日本長野支社報道資料)の211系がお目見えしました。

このたび長野地区に登場した211系は、高崎線や宇都宮線等で活躍した寒冷地仕様・ロングシートの3000番台で、房総地区での活躍を経て長野に転属してきたものです。
長野での使用に際し、5両編成(McM'TTTc')を組んでいたものを、中間のT車2両を減車して3両編成とし、併せてラインカラーを房総色から115系などでお馴染みの長野色に変更されました。このダイヤ改正から稼働を開始したのは3両×8編成=24両で、従来の115系の運用の一部を置き換える形となっています。

運用範囲は、中央本線、大糸線、篠ノ井線、信越本線の富士見・辰野~塩尻~松本~信濃大町・長野間で、このうち大糸線の松本~信濃大町間での運用がメインとなっており、長野総合車両センター所属車でありながら、今のところ長野ではあまり見る機会のない車両です。

ちなみに、長野まで来る運用は、篠ノ井線の朝の1223M・1224M、夜の1545M・1550Mで、先日仕事帰りに長野駅に立ち寄り、1545Mを見てきました。



▲ 長野色の帯を纏う長野総合車両センター[長ナノ]所属の211系3000番台N332編成。何とも中途半端な編成番号ですが、後に登場する予定の編成番号を飛ばしてつけているためでしょうか。



▲ 長野基準で松本方に連結されるクモハ211形3000番台(クモハ211-3041)。暗くて分かりにくいですが、運転台側の屋根には(霜取り用?の)パンタグラフの設置台のみが設けられており、いずれはダブルパンタ化されるのかもしれません。



▲ 前面及び側面幕には、いわゆる"国鉄フォント"らしき書体で書かれた方向幕が装備されています。「回送」のコマにも英文表記が併記されているのが特徴的です。



▲ 長野駅の駅名標と211系3000番台。E127系で見慣れているせいでしょうか、ステンレス車体+長野色の帯の組合せにはそれほど違和感が感じられません(^^;


現在、長野駅や長野総合車両センター構内等には、関東地区での役目を終えた211系が留置されており、これらの中にはいずれ長野地区での再デビューを果たす車両もいるものと思われます。現在の長野地区では、まだまだ115系も幅を利かせておりますが、いずれ勢力が逆転し、115系が過去の車両として語られる日が来るのもそう遠くないのかもしれません。




3月16日(土)のダイヤ改正から、JR東日本長野支社管内で活躍するE127系100番台の運用範囲が変更されました。改正前は、大糸線内のみを走る列車に運用されていただけですが、中央本線・篠ノ井線・信越本線の茅野~(辰野線を含む。)~塩尻~松本~長野間にも運用範囲が拡大され、合わせて各区間を走る列車におけるワンマン運転も開始されています。

1998(平成10)年12月8日のダイヤ改正から、2両×12編成(24両)が長野地区に登場したE127系100番台は、当初は大糸線内での運用を中心に、大糸線内から中央本線辰野へ直通する列車や、篠ノ井線の明科折り返し運用にも充当されるなどしておりましたが、その後一時大糸線内のみの運用となっていた時期を経て、再び中央本線~篠ノ井線系統の列車にも運用されるようになりました。



▲ 松本駅1番線ホームに停車中のE127系100番台による篠ノ井線長野行き普通列車。大糸線と松本駅1番線は直接行き来ができないため、大糸線内の運用しかなかった改正前までは見られなかった風景が定期的に見られるようになりました。



▲ 行先の「長野」「ワンマン」を交互に表示するE127系の表示器。東日本大震災以降の節電ダイヤ実施時には、篠ノ井線の普通列車に使用されたことのあるE127系ですが、定期列車として長野まで足を伸ばすのは初めてです。



▲ E127系の側面表示。クモハE127-100番台の連結面にのみ設置されているため、2両につき1か所の割合になっています。ワンマン 長 野と2色で表示されています。


なお、E127系の基本番台(0番台)が新潟支社に在籍していますが、北陸新幹線金沢開業後に並行する信越本線の新潟県部分の経営を引き継ぐえちごトキめき鉄道に対し、2両×10編成(20両)が譲渡されることが新潟県のHPに掲載(JR東日本社長と新潟県知事の面談に関する記事)されています。一方の長野県側の経営を引き継ぐしなの鉄道とえちごトキめき鉄道が相互乗り入れを行なうのであれば、0番台と100番台双方のE127系が長野駅で顔を合わせる-なんていうことも実現するかもしれませんね(^^;



JR東日本・中央本線の特急「あずさ」「かいじ」として活躍するE257系電車。
9両の車両で構成される基本編成(M-100番台)と、2両の車両で構成される付属編成(M-200番台)の2種類の編成で構成され、9両編成で走る場合は基本編成のみ(3号車~11号車)、11両編成で走る場合は基本編成の新宿方に付属編成(1~2号車)を増結するという方法で運転されます。
この基本編成と付属編成は、本線上での分割併合運転を行なうためのものではなく、松本車両センターの構内の有効長の関係からこのような構成になっているようで、11両編成で運転される「あずさ」が松本車両センターから松本駅に出区する際(及びその逆)は松本駅ホーム上での連結・切り離しが見られます。

先日、松本を訪れた際、偶然にも付属編成のみの2両編成のE257系が車両センターから出区してきて、松本駅のホームに据え付けられるシーンを目撃することができました。残念ながら、乗車する時間の都合で基本編成の出区~連結のシーンまで見ることはできませんでしたが、12両編成が停車できる長いホームに2両だけちょこんと停まるE257の姿を撮影することができました。



▲ 松本駅2番線ホームに停車中のE257系M-204編成。営業運転時には先頭に立つことがない長野方の車両は、簡易な運転台のみを備えているそうで、外観もおでこに1灯のみの前部標識灯、外はめ式の後部標識灯など必要最低限の装備しかしていないように見受けられます。よく見ると画像の右端にもう1本の付属編成が先頭部分のみ顔をのぞかせています(^^;


なお、このような姿でも長野方の車両の形式は「クモハE257形(画像の車両はクモハE257-4)」とれっきとした“先頭車”扱いとなっており、かつての特急形電車や急行形電車に存在した中間車(サロやサシなど)に簡易運転台を設けただけの車両とは一線を画しているようです(^^;

しかし、飽くまでも簡易運転台であることには変わりないのか、この2号車(クモハE257形)を先頭に本線を営業運転することは、残念ながらありません。列車によって岡谷で分割併合して、2両のみ辰野回転とかやったら辰野町や飯田線沿線の方に喜ばれそうな気がしますが…(^^;

ちなみに、特急列車「スーパーあずさ」に使われるE351系電車も、松本車両センター構内では12両編成で動くことができないため、松本止まりの列車(今ではすべてが松本止まり・始発となってしまいましたが…)が入区する際もホーム上で基本編成(長野方8両)と付属編成(新宿方4両)に分割し、基本編成→付属編成の順に入換を行なうシーンを見ることができます(出区の際は、この逆です。)。



1月15日の記事で予告したとおり(?)、今日はもう一つ鉄道車両のボディに掲げられた“オレンジリボン”の啓発広告のネタをお届けします(^^)/





JR東日本長野支社(松本車両センター)に所属するE127系100番台のうち、A4編成(クモハE127-104+クハE126-104)の車体にも“オレンジリボン”の啓発広告が掲出されています。
掲出方法はしなの鉄道の115系と同じく、ドア間の側窓下の部分にバナー状の広告を貼付するもので、1車両あたり4か所(各側面2か所)、1編成で8カ所の広告が貼付されています。



▲ クモハE127-104に貼付された“オレンジリボン”の啓発広告。


なお、(サイズは不明ですが)デザインはしなの鉄道の115系と同じものであると思われます。



▲ しなの鉄道の115系と同デザインと思われるバナー状広告。


現在のところ、E127系は大糸線を主な活躍の場としており、長野ではなかなかその姿を見ることができませんが、3月のダイヤ改正以降は中央東線や篠ノ井線、信越本線にも進出することが発表されており、この編成が長野でしなの鉄道の115系広告車と顔合わせ~なんていうこともあるかもしれませんね(^^;


このところ、正月にたっぷりと補給した鉄分のネタを小出しにしています。
今日で5日連続の鉄ネタ、今日は昨日の記事の続きです(^^;

長野駅近くで3634Mの出発を撮ったり、雪に塗れた115系を撮ったりした後、1月5日(土)の記事で紹介した長電運試し大会へ。長野駅の115系や189系があれだけ雪を抱いていたのだからと、そのままの勢いで3324M「妙高4号」も同じような姿で飛んでくるの期待して信越本線沿線へ。

その前に347M直江津行き。





▲ 見れば長野駅の引上線で3連×2本に分割作業を行なっていた片割れのN16編成。344Mで国境越えしてきた後、ロクに休む間の無く再び山へと挑んでいきます。

残りの3両編成はどこか別のところへ飛んで行ったのでしょうか。
そして本命の3324M。347Mとは豊野で交換するダイヤになっています。



▲ やってきたのは両端に改造先頭車のクハ188形を含むN103編成。国鉄色のN101編成より雪の抱き方がやや激しいようで…(^^;



▲ 振り返ってもう1枚。さすがは元特急車。普通列車ながら、絵入りのヘッドマークがよく似合います(^^)


この後は、お昼ご飯を挟んでまつさんと共通の友人であるY氏さんに合流、帯同させていただき、すっかり有名になってしまったJR貨物からのお年玉・EF64×4重連の単機回送列車の撮影に。最初は篠ノ井の塩尻機関区派出所と近くの沿線でチョコチョコっと撮るだけのつもりが…(^^;;;

続きはまた改めて(^^)/


一昨日の記事で紹介した、長電特急車による運試しの前は長野駅近くでこんな物を撮っていました。
もちろん、まつさんと一緒ですので、ネタは完全に被っていますが…(^^;;;
(しかも、共通の友人であるH氏のネタとも被っていますm(__)m が、今回は少し変化球も混ぜてみました(^^;)

長野駅前で少しバスを撮った後、ふと時計を見るとちょうど9時、3322M快速「妙高2号」から流れるしなの鉄道直通3634Mの出発を撮ろうということになり、手近に長野駅構内を見通せるポイントへ。
前日の上田への移動に使った3634Mが、旧あさま色のN103編成でしたので、1編成が東京遠征中とあっては今日の3634Mは必然的に国鉄色のN101編成。そういえば、この編成が国鉄色になってから、まだほとんど撮ったことが無いような…





▲ 長野駅の引上線に停車中の183・189系N101編成と、340Mor342Mあたりで山線を走ってきたと思われる115系N7編成(+もう1編成で6両に組成)。色が変わっているとはいえ、国鉄型車両同士の並びはイイものですね(^^; 足回りにはびっしりと雪が付いており、信越国境付近での豪雪ぶりを窺わせてくれます。


しばらくすると、N101編成の入換え開始。7番線に吸い込まれていきます。そして数分後、篠ノ井線からしなの鉄道に直通する戸倉行き普通・3634Mとして長野駅を後にします。



▲ KUNEKUNE(笑。 あぁ、ヘッドマークが「あさま」だったら…(^^;



▲ 信越国境の雪を雪の無い地域へと運ぶ列車。20~30年くらい前だったら、上野駅で東北や新潟、北陸地方などさまざまな地域から雪を運んでくる長距離列車を見ることができたものです。



▲ 国鉄型車両の重厚な足回り。耐寒耐雪仕様の装備を如何なく発揮しているようです。



▲ 振り返ってもう1枚。直江津方の方がより多くの雪が付いているということは、昨夜の3325Mの時にだいぶ付けられたということでしょうか。おや、“例の場所”は今日は締まっているようで(笑 …なんて思っていたら、先頭車が電柱に掛かってしまいましたorz 架線柱1本ずらしたまつさんの方が正解だったようです…


この後、いったん長野駅前に戻り再びバス撮影。そしてなぜかもう1度さっきのポイントへ。
何かもっとスゴイ顔をしたのが出てきました。





▲ 344Mで長野に到着したN16編成(+もう1編成)が引上げ線にそろそろと進入してきます。



▲ 顔を並べた115系。次の仕事に備えて、束の間の休憩です。


しばらくすると、344Mに使われた115系を6両編成から3両ずつに分割する作業が始まりました。雪の付いた幌やジャンパ栓を丁寧に外し…



▲ 係員の方の手旗信号により、ゆっくりと動き出す直江津方の編成(番号不明(^^;)。


この春には115系の置き換えを目的とした211系の投入が発表されていますし、北陸新幹線開業後は三セクへの経営分離が予定されています。このような姿をした115系ももうすぐ見納めになるのかもしれません。


一昨日の記事で紹介した、国鉄色の183系による回送列車を撮影した後、所用を済ませてから情報をくれた友人と合流しました。
聞けばその日はまだ国鉄型車両による特急列車が運転されるのだそうで、長野総合車両センターのあさま色の189系を使用する「あずさ81号」が16時過ぎに松本に着くとのこと。それならばということで、連れ立って松本駅へ…



▲ 16時16分、新宿発松本行き「あずさ81号」が松本駅3番線に入ってきました。編成が短いものの、絵入りのヘッドマークを掲げるその姿は、紛れもなく「特急列車」そのものです(^^;


2002(平成14)年に後継のE257系にその任を譲って、特急「あずさ」「かいじ」としての運用から降りた183・189系ですが、その後も細々と臨時列車での活躍が続いているのは嬉しい限りです。しかも日によっては国鉄色あり、あずさ色あり、あさま色ありと、バリエーションに富んでいます。

車掌さんによっては早々に幕回しを始めてしまい、駅に着いた時には「回送」になっていてがっかりすることも多いようですが、今回はしっかりと「あずさ」幕のまま入ってきてくれました。

そして「あずさ」で入ってきたということはお楽しみのコレ(^^)

◆幕回し◆


主だったところからいくつか紹介したいと思います(^^)/


快速 アルプス】

▲ 現在運転されている臨時の夜行快速「ムーンライト信州」に相当する列車なのでしょうか。急行「アルプス」廃止後に運転することを想定して用意した愛称のようですが、使用実績があるのか謎な列車です。


特急 はまかいじ】

▲ 現在も、田町車両センターの185系200番台7両編成を使用した臨時特急「はまかいじ」が運転されていますが、一時期松本を朝出て夜戻ってくるダイヤでもう一往復の「はまかいじ」が運転されており、それにATCを積んだ先頭車が組み込まれているこのN101編成が専属で用いられていたことがありました。現在、根岸線内はデジタルATC化されてしまったため、この183系に積まれているATCでは対応できず、もうこの編成で「はまかいじ」が運転されることはないのかもしれません…


特急 あさま】

▲ 1997(平成9)年10月の新幹線開業まで、上野と長野(又は直江津)を結んでいた特急「あさま」。現在では、イベントでリバイバルトレインとして運転されるに過ぎませんが、その時のためにちゃんと愛称表示および側面方向幕を用意しているのがスゴイです(^^;



▲ このカラーの車体に最も似合うのは、やっぱり「あさま」のマークでしょう! L特急のマークが抜けてしまっているのが残念ですが、特急「あさま」が元気だったあの頃の姿が目に浮かんできます(^^;


快速 妙高号】

▲ 先の改正で5往復→3往復に減便されてしまった「妙高号」。朝の直江津発長野行き1本のみが今も快速列車として運転されています。


周りで「あずさ」のマークを写真に撮っていたファンに対し、「みんな写真撮ったかー?」「幕回していいかなー」と元気な声をかけて幕を回し始めた車掌さんでしたが、「回送」になっても止まらず、結局いちばん上の1コマ目「普通」まで巻いてしまいました(^^;


【普通】

「普通」表示で止まってしまったまま、長野方面に向けて回送されていきました。


そういえば、一昨日の記事で紹介したOM103編成の新宿方も、このN101編成の新宿方も、“眉”の低い先頭車(OM103=クハ183-1527、N101=クハ183-1528)が組み込まれているのですね(^^;


★ ☆ ★ ☆ ★


その後、松本で用事を済ませた後、田沢駅に立ち寄ってみると…ちょうど先ほどのN101編成が松本方面へと戻っていくところでした。



▲ 18時少し前になって、回送列車として松本方面へと戻っていくN101編成。よく見ると表示は「普通」のままでした(^^;


この後は新宿方面まで遠路回送され、この晩の下り快速「ムーンライト信州」号として翌朝に再び長野県へ戻ってくるのだそうです。日頃は主に「妙高号」として長野~直江津間を行ったり来たりしている長野の183・189系ですが、この時ばかりは特急車の本領発揮とばかりにとにかく長い距離を走ります!



先日、松本方面へ車を走らせている時に、友人から「183系を使用したあずさ号からの回送列車が、松本→長野間を走る」という情報をいただき(ありがとうございますm(__)m)、だいたいの時間を合わせて明科駅附近で待っていたのですが、やって来ず…orz

先に行ってしまったかと諦めて、そのまま先へ行こうとしたとき、列車の通過音が!
アングルを選ぶまもなく慌ててシャッターを切った結果が下の1枚です(^^;



▲ 篠ノ井線を長野に向けて回送される183系大宮車の6両編成。“眉”の位置が低いところから、最後尾はクハ183-1527と判明(^^) ということは、OM103編成でしょうか。


元よりこの場所では、茂みが深い関係で編成全体は入らないだろうと諦めていたため、まぁこんな出来かと納得して、再び先を急いだのでした(^^;

それにしても、緑の中の国鉄特急色の映えることといったら!
やはり国鉄色は秀逸なセンスをもって定められた色なのだと改めて感じた次第です。
これがあずさ色やあさま色だったら、こうはいきませんよね(^^;
(あずさ色やあさま色も、嫌いではないのですが、どちらが景色の中で映えるかといったら、やはり国鉄色に軍配だと思います。)



既に各所で話題になっていますが…(^^;

さる3月17日のダイヤ改正から、JR篠ノ井線の日中の普通列車に115系2両編成で運転される列車が登場しました。
松本1210→長野1329の1229Mがそれで、恐らく対になると思われる長野1406→松本1523=1555→小淵沢1704の1536M列車の松本までも同じく2両編成で運転されているものと思われます。

先日、姨捨駅から千曲市循環バスに乗るために同駅で長野からの普通列車を下車したところ、ちょうど交換する普通列車がこの1229Mでした。姨捨駅の跨線橋から、アクリル板1枚を隔てているので、色味のハッキリしない画になってしまいましたが、一応その姿を捉えた画像ということで、紹介させていただきます。



▲ 姨捨駅を出発し、稲荷山駅へ向けて勾配を下っていく115系2両編成の普通列車。


篠ノ井線では、今後一部列車にE127系を投入の上、ワンマン運転を行う旨が発表されていますが、この1229Mあたりが真っ先にワンマン化されてしまうのでしょうね。
昨年のダイヤ改正だったかで日中の普通列車の間引きが行なわれた篠ノ井線、土日に運行されなくなってしまったアルピコ交通(川中島バス・松本電鉄)の高速バス、松本~長野間の旅客流動って、そんなに小さくなってしまったのでしょうか…


6月下旬に、所用で出かけることになり、長野から普通列車「妙高」号に乗りました。

この「妙高」号は、1997(平成9)年10月の長野新幹線(^^;開業に合わせて信越本線の長野~直江津間に誕生した快速(一部普通)「信越リレー妙高」号の流れを汲み、新幹線連絡列車として(…の位置づけが今でもあるのかは不明ですが(^^;)現在では5往復が運転されています。
使用されている車両は、新幹線開業前まで長野(一部直江津、妙高高原)と上野を結んでいた在来線特急「あさま」号に使用されていた189系で、モノクラス6両編成に組替えて使用されています。
なお、「妙高」号は普通列車ながら6両編成中に1両だけ指定席車があるため、マルスでの指定券発券用に列車名と号数が付けられています。
(朝の直江津発長野行きの2号のみ、快速列車として運転。)

私が乗車したのは、長野発15時16分の「妙高7号」です。



▲ 長野駅5番線ホームで発車を待つ「妙高7号」。旧「あさま」カラーのままの189系6両編成で、ヘッドマークは「妙高と、“号”まで入った珍しい書き方をしています。



▲ 乗務員扉の脇(運転席の下)にうっすらと浮かんで見える「■ASAMA■」のロゴ。



▲ 現役時代はこんな感じのロゴでした。(この画像の車両は489系です。1997年春頃? 軽井沢にて)


車両は、長野総合車両センター所属のN103編成で、1997年9月まではN109編成として特急「あさま」などに使われていた車両です。両端の先頭車は、国鉄時代の特急短編成化に伴って誕生した、485系の付随車を改造したクハ188型で、連結面寄りの乗降扉にステップが付いている点や、全体的に189系より高い位置にある側窓、通風機の形状などに相違があります。




▲ 特急「あさま」号として使用されていた頃の姿です。碓氷峠の急勾配へ挑むため、横川からEF63型電気機関車を後ろに2両連結しています。先頭はクハ188-102で、この頃はN109編成と呼ばれていました。その後、中間のグリーン車とMM'ユニットを1組抜いて6両編成化されたものが、現在のN103編成です。クハ188型は、後付けの側面方向幕の位置も特徴的です。(1997年5月頃? 横川~軽井沢間にて)


「妙高7号」は普通列車ですので、長野~直江津間の全ての駅に停車しながらゆっくりと直江津を目指します。
長野発車時点では各車両とも20人ずつくらいの乗車(指定席車両はほとんどゼロ(^^;)でしたが、新井や脇野田などでは学校帰りの高校生たちが大勢乗ってきました。こうなると、新幹線連絡列車というよりは、通学列車の方が色合いが強い気がします(^^;;;

長野を出てから約1時間40分、16時54分に直江津駅に到着です。



▲ 直江津駅に到着した「妙高9号」。北越急行ほくほく線のワンマンカーと顔合わせ。


この後、延べ4日間、移動距離2,000キロ以上に及ぶ大旅行(飽くまでも"所用"ですが(^^;)をしてきました。
それらの様子は、また追々…(^^;




今回も珍しく鉄道ネタ、しかも滅多にネタにしない(乗ったり撮ったりという接点が少ないため、ネタが無くて記事にできないとも言う(^^;;;)JRの話題です。

南長野運動公園(オリンピックスタジアム)へ長野マラソンのシャトルバスを見に行った4月18日(日)、帰りは大混雑の長野駅東口行きのシャトルバスを避け、篠ノ井駅行きのシャトルバスに乗車し、篠ノ井~長野間は信越線を利用しました。
(南長野運動公園の様子は、4月24日の記事以降をご覧ください。)

篠ノ井駅に着いたのは1440ごろ、接続良く1448発の長野行きがあったため、これに乗車することに。
しなの鉄道からの直通列車だということは分かっていたため、2番線で待っていると、やってきたのは169系電車のS52編成。
一昨年秋から昨年春にかけては、信越線開業120周年のイベントの一環で、湘南色に塗り戻されて注目を浴びた編成です。
特に狙っていたわけではないので、偶々ついていたということでしょうか(^^;



▲ 図らずも乗車が叶ったしなの鉄道の169系。S52編成の先頭車クハ169-19は、移籍前のJR東日本の169系の中で、最後まで原型ヘッドライトを保っていた車両でした。


電動車の走行音を楽しむため、最後尾まで移動してのクモハ169型(-6)に乗車。わずか13分でしたが、重厚な感じの国鉄型の走りを堪能できました。



▲ 軽井沢方の先頭車・クモハ169-6。貫通幌とジャンパ栓が、国鉄型車両の厳つい雰囲気を更に引き出しています(^^;



▲ 行先表示は、LEDでも方向幕でもなく、今となっては貴重なサボを使用。JR時代のものをそのまま引き継いでいるのか、上からベタベタとシールを貼って修正した後が目立ちます。それにしても、この表記の仕方は、一見しても何処行きの列車なのか分かりにくいですよね(^^;


長野駅に着くと、向かいのホームに待っていたのは信越本線の直江津行き「妙高」号の189系。1つのホームを挟んで、ともに国鉄型の169系と189系が並ぶ光景を目にすることができました。



▲ 少々苦しいアングルながら、1つのホームを挟んで対峙する国鉄型特急用車両と急行用車両の並びを記録。すでにそれぞれ本来の用途としての列車ではありませんが、それでも貫禄は十分です。
(※ 189系は、現在も臨時特急「あずさ」へ充当されることがあります。)


北陸新幹線が延伸開業する2014年(予定)には、また在来線の経営分離や列車系統の整理が行なわれると思われ、また車両そのものの老朽化も避けて通れない事態ですので、こうした光景がいつまでも見られるわけではないのでしょうね。

「妙高」の隣には、名古屋行きの特急「しなの」が入線中。383系の量産先行車であるA1編成でした。
JR化後に誕生した特急用車両ながら愛称幕を持ち、国鉄時代と変わらないデザインの「しなの」のイラスト入りマークを掲出しているのは好感が持てます。



▲ 現在、長野駅に乗り入れるJR唯一の定期特急列車となった「しなの」と並ぶ「妙高」。189系(N103編成)の先頭車は、国鉄末期の特急短編成化の賜物とも言える485系からの改造車であるクハ188-602。





大糸線のキハ52型による最後の列車が南小谷駅を出てから3時間が経ちました。
日が変わって今日、3月13日(土)から大糸線・南小谷~糸魚川間の列車は、新しいキハ120型車両によって運行されます。

私は結局、3両のキハ52型が国鉄色に戻されてからの大糸線は、1度だけ車で沿線を通ったことがあるくらいで、ゆっくり乗ったり撮ったりすることなく終わってしまいました。
一時期、大糸線沿線に住んでいたこともあって、日本海側へ旅行に出る際は、よく“青春18きっぷ”などを手に乗ったことがありましたが、最近は完全に足が遠のいてしまっています。

ところで、大糸線、とりわけJR西日本が経営する南小谷~糸魚川間において、忘れられない出来事といえば、1995(平成7)年7月11日の水害でしょう。この水害により、大糸線の白馬~根知間は、長期運休を余儀なくされ、特に南小谷~小滝間は、1997年11月29日の運行再開まで、2年4か月以上にわたって列車の走れない状態が続きました。
この期間中は、市販の時刻表等には「水害により不通」とだけ記載され、大糸線は、松本~南小谷間と小滝~糸魚川間だけが運行中であると案内されていました。
しかし、僅かとは言え、沿線に住む方たちの大切な足として大糸線は必要な存在でした。そこで、大糸線沿いに通っている国道148号線が復旧したことに併せて、1996年1月からは列車代行バスが運行されました。ただしこのバスは、飽くまでも沿線の方たちの足の確保を目的とした運行であるため、市販の時刻表等にはいっさい案内されていませんでした。

1997年4月、この代行バスのことを耳にした私は、ダメ元で大糸線に乗り、南小谷へと向かいました。南小谷駅で電車を降りると、駅前で待っていたのは「列車代行」の方向幕を掲出した松本電鉄のバスでした。運転手さんに尋ねると、「そんなにお客さんの多い日ではないので、運賃さえ払ってもらえれば乗っても構わない」とのことだったので、小滝駅まで乗せていただくことにしました。




(南小谷駅前で発車を待つ大糸線列車代行バス。訪れた日は松本電鉄の10128号車が使用されていました。この車両は、1991年夏に上高地向けに新島々営業所に10台が配属されたうちの1台ですが、その後の同営業所への低公害車(HIMR)の投入により第一線を退きました。実はこの車両、登場当時は“非冷房車”だったのです。同年車の10150代の車両が冷房改造されて現役であるのに対し、10120代の10台は、冷房改造を受けることなくいつの間にか松電からも引退してしまいました。)



(代行バスの側面に表示されたサボ。)



代行バスは僅かな乗客を乗せ、途中、ときどき国道を逸れて大糸線各駅のできるだけ近くに立ち寄りながら、鉄道の営業キロで20キロあまりのところを1時間かけて走りました。




(小滝駅に到着した代行バス。背後の山では復旧工事が行なわれている様子です。)


小滝駅に着くと、糸魚川行きの列車が待っていました。当時は、ホワイトの車体にグリーンのラインが入った塗装のキハ52型でした。どうやらこれが、キハ52型をきちんと撮影した最後の機会だったようです。




(小滝駅で待っていたのは1両だけのキハ52 116。この車両は2002年ごろまで大糸線で活躍した後、富山・高岡方面で使用され、2003年ごろに廃車されたそうです。)



(車両の手前側が糸魚川方面、奥が南小谷方面。車両の陰に僅かに写っていますが、小滝駅の南小谷寄りの線路には、しっかりと車止めが設けられ、この先が不通区間であることを物語っていました。)



(当時は上下列車の交換ができ、側線まであった小滝駅。現在はホーム左側に僅かに写っている線路と、側線は撤去され、列車交換などができない棒線構造の配線になってしまったそうです。)



(時は1997年4月-ちょうどJR発足後10年が経過した頃で、キハ52の車両側面には、このようなステッカーが貼ってありました。まだ500系も「のぞみ」の主力車両の一つとして活躍していた頃です。)



その後、糸魚川へ抜けたのか、またバスで南小谷へ戻ったのかは記憶が定かではありませんが、不通区間を走る代行バスに乗るという貴重な経験をさせていただくことができました。

ちょうど古い手帳から、当時の代行バスの時刻表を書き写したものを見つけました。
「住民のみなさまへ」という掲示だったと記録していますが、運行当時からもう13年経過していますので、最後にそれを紹介いたします。

【大糸線代行バス~住民のみなさまへ】
 南小谷600-中土609-北小谷620-平岩641-小滝700
 以降、南小谷発720、1135、1710 の計4本

 小滝558-平岩617-北小谷634-中土645-南小谷651
 小滝715-平岩734-北小谷755-中土806-南小谷815
 以降、小滝発1322、1845 の計4本



私が乗車したのは、恐らく南小谷駅発1135の小滝駅行きだったと思うのですが、このバスを含めて3往復は松本電鉄の担当、小滝駅発558~南小谷駅発720の一往復は、新潟県側の事業者である頚城自動車(系列の会社?)のバスだったと聞いています。


長期にわたり大糸線の運行を支えたキハ52型への労いと、新たに配属されるキハ120型により、大糸線の未来が少しでも明るいものとなることを願いつつ…


今回も鉄道ネタで。

今春3月13日(土)のJRダイヤ改正について、各方面から詳細な話が聞こえてくるようになりました。
伝統ある列車の廃止や長年活躍してきた車両の引退の話など、どちらかというと寂しい改正であることは、ここ最近の改正共通の雰囲気のようで、今回も同じ感じですが、その中で長野県内の改正点の一つに「朝の信濃大町始発の特急『スーパーあずさ』を、松本始発に変更する」というものがあります。
1994年12月の運転開始以来、最大で定期列車が松本~南小谷間を2往復、さらにハイシーズンにはこれに加えて臨時列車の運転も1~2往復あった、大糸線への特急「スーパーあずさ」の乗り入れですが、ついに定期列車としては同線内の運用が消滅することになります。






(1996年2~3月頃、大糸線・信濃常盤~安曇沓掛間で撮影。)


そもそも、最近の大糸線は、定期の特急列車はこの信濃大町⇒松本間の「スーパーあずさ」1本と、松本~南小谷間に乗り入れる「あずさ」(E257系9連を使用。)1往復のみになり、臨時列車としての運転も夏や冬のハイシーズンでさえほとんどされなくなってしまいました。
ひと昔前までは、冬になるとスキー客の輸送に対応するべく、単線の線路容量が一杯になるほどに臨時列車が運転され、見ていて楽しい路線でしたが、今は見る影もありません。
当時は、日曜日や連休最終日の午後になると、臨時「あずさ」や「シュプール号」の送り込み回送に始まり、東京や名古屋方面へ帰るお客を乗せて、数え切れないほどの列車が走っていましたが、それも懐かしい思い出です。

画像は同じく1996年2~3月頃の撮影で、上り特急「あずさ」(183系非GU編成あずさ色)と、「シュプール栂池八方」(381系)です。
上で紹介した「スーパーあずさ」の画像と同じネガに入っていたので、ついでに紹介させていただきます。
今ではどちらも車両を見ることさえできなくなってしまいました。









【追伸】
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