平成24年3月31日 土曜日


ついにこの日がやってきてしまいました。

長野電鉄90年の歴史の中で、「最も大きな」と言っても過言ではないイベントが今日は2つあります。



…余計な言葉を継ぎ足して飾り立てても仕方がありません。

「2000系車両」「屋代線」-この2つにとって、今日が最も良い日となりますように…









さあ、あと23時間50分です。


このシリーズ(その4)の文末で触れた、松代町内にもう1か所バスが渡る踏切がある件--について、日没後の厳しい条件下ですが、仕事帰りに何とか記録してくることができました。

踏切の名前は、「谷街道踏切」。屋代起点で7.497kmの地点にある踏切です。ここは、国道403号と交差しており、長野市廃止代替バスとして川中島バスが受託運行する[130]系統・松代~篠ノ井線(平日の朝夕のみ運行)と、朝の片方向のみ運行される松代本線の派生系統の[102]系統・道島発文化学園前行き(平日の朝1本のみ運行)が通ります。

今回撮影したのは[130]系統・篠ノ井駅前発松代高校行きの最終便です。



▲ 篠ノ井方面から現れたのは、松代高校行き最終便の40915号車。最終便とはいえ、18時台に運行されるこのバスは、夕方の帰宅ラッシュの中を走るため、他の車との干渉を避けるのが難しいと感じました。



▲ 踏切を過ぎ、象山口の駅前を通り過ぎる40915号車。あと少しで、右から来た軽トラックに完全に被られるところでした(^^;


道路の反対側から撮っていたのがいけなかったかと、次の日にリベンジ。
今度は象山口駅のホーム端からやや俯瞰気味に。





▲ 上の便と全く同じですが、この日は40914号車でした。


この踏切の近くには、「象山口」というバス停がありますが、ここでバスと電車を乗り継ぐ方は…ほぼ皆無に近いのでしょうね(^^;;;


# なお、屋代線の踏切でバスが渡るところは、他にも千曲市内に循環バスが渡る踏切(数や名称不明(^^;)や、須坂市内の国道406号と交差する踏切に須坂駅前発着の市民バスや長電バスの路線バスが渡る踏切がありますが、これこそもう記録するのに間に合いませんね…orz


2月某日-この日も確か、休出した日だったっけかな? あ、でも前の金曜日までに片付かなかった仕事をやっつけに会社に行った日だったような…??

ま、とにかく仕事を終えた後向かったのは、北山隧道の飛び出し…
1月のリベンジを果たそうと、じっくり場所を見定めてのつもりだったのですが…(^^;



▲ 北山隧道から飛び出すのは413列車。またしてもオー6…orz どうもオー2が昼間動いている日に当たらないもので…(--;


ん?? どうやら下がり過ぎ? 用水路を跨いださらに向こう側(分かる方には分かる?)にポイントを定めたのですが、ポータルの見える角度が他の方の画像とはどうも違うようで… まぁこれでも満足ですが(^^;;;

続いては、城裏町第1号踏切の脇から、発条式転轍器(スプリングポイント)の標識を入れて。逆光ですが、気にしない気にしない(^^;



▲ 414列車が反位側からポイントを割り出していくところを…(トングレールの向きに注目!)


お次は“古いもの同士の並び”ということで、古びた国鉄コンテナの脇を抜けるオー6を。



▲ 火ダルマ大師さんからご教示いただいたポイントで415列車を。今や水色のJRコンテナさえ放出される時代、黄緑のC20形コンテナもなかなか見かけなくなりました。


最後は416列車を綿内で。



▲ ゆらゆらと陽炎(?)が揺れる景色の向こうから、またしてもオー6到着。



▲ こちらでも、スプリングポイントを反位側から割り出していくところを。逆光な分、レールの上面が良く見えます。


あまり長い時間の外出ができる日ではなかったため、この日はこれまで。
短いながらも満足度の高い日でした(^^)



3月も最終週に入り…ということは、屋代線も最後の1週間に入っているということになります。
この記事がアップされる時点ではすでにあと4営業日…本当にあと僅かな時間しかありません。
…それはさておき、今年になってから、ちょこちょこと撮り溜めた画像でまだアップしていないものが結構あるようなので、今回は少し時計を巻き戻して、まだ冬真っただ中だった頃に撮りに行った時のことでも…

1月某日。
つまらない用事で会社から休出命令が下ったこの日、どうせ頭も体も使う用事ではなかろうと、出勤前にひと仕事してから…と思い、向かったのは大室駅。



▲ 406列車。朝の405〜406列車の1往復は車両のやりくりの都合で、長野線用のN編成が限定で運用に入っています。



▲ 振り返って1枚。



▲ 踏切が開くのを待って反対側へ。この列車のもう一つの特徴、それは整理券方式のワンマン運転に対応していない編成のため、車掌さんが乗務しているということです。



▲ 場所をちょっと移して関崎隧道の飛び出しで409列車を。やってきたのはオー2編成です。


ここでいったん会社へ。社員ほぼ全員を出勤させてきながら、非営業日なので暖房が入らないということなので、撮影の時に着ていた(履いていた)上下(中も?)防寒仕様のまんま過ごすことに。仕事をやる気なんて全く起きません(^^;


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


昼で会社から解放された後、そのまま家に帰るのもナニだったので(^^;、もう少し稼いでから帰ることに(^^;;;



▲ 午後1発目は北山隧道の飛び出しへ。出てきた415列車はオー6のお顔がギラリ☆ 場所を選んでいる間が無かったため、手軽に北山隧道踏切から。ポータルの一部が架線柱に隠れてしまう場所でしたが、まぁ仕方がないということで(^^;



▲ 416列車は妻女山俯瞰へ。実は初めての妻女山だったりします。



▲ 少しアングルを変えて。手前の高速道路をバスが通ったりすると面白いなと思ったのですが(^^;



▲ 松代ロイヤル裏の“ニャンコ踏切”を下見した後は、統中踏切にて417列車を。



▲ 振り返ってもう1枚。ピントが甘すぎですが、417列車から降りてきた方でしょうか。勾配を駆け上がっていくオー6の前をいい感じに横切ってくれました(^^;



▲ 418列車はお馴染み離山隧道の正面ドッカンで。これでめでたく(!?)、1日で屋代線の3隧道制覇です(^^;



▲ 振り返っている間に設定をいじる余裕がなく、何だか中途半端な画になってしまいました。



▲ 懲りずにもう1発。



▲ 最後は“ニャンコ踏切”で419列車を。時刻は16時近く、この時期は陽が無い時間帯です。残念ながら、ニャンコには出会えませんでしたorz


仕事で午前中を潰されたのは痛かったですが、それでも結構な本数の列車を撮ることができ、満足の1日でした(^o^;


ヘッドマークネタ3連発(^^;

25日(日)の夕方、ずっと外を出歩いていたため体が芯まで冷え切ってしまったような感覚に陥りました。ふと屋代線に乗って温まろうかと思い、フリーきっぷを半ば衝動的に購入。以前、屋代線のオー編成に乗った時に、「ここはサウナか!?」と思いたくなるほど暑かったことを思い出し、そんな車内ならきっと冷えた体を温めてくれるかもしれない…ということで。
須坂~屋代間を往復したのですが、車内では行きの松代までは偶然乗り合わせていた友人とおしゃべりに熱が入ったものの、他の区間ではほぼ爆睡扱いていたこともあり、おかげで体がよーく温まりました。夕方の屋代線は、昼間の激混みも一段落し、車内は程よい乗車具合ということで、ゆったりと寛ぐことができました(^^;

んで翌26日(月)、昼間は会社にいましたが、夕方からこのフリー切符の元を取ろうということで行動開始。結局また屋代線を往復することに。屋代線に乗る時は乗り換え時間が僅かだったこともあり、クジラのお顔を眺めることさえ考えずにそのまま乗車。屋代で降りてビックリ!!



▲ 何と日曜日までは無かった“さよならマーク”がオー6編成の前面に取り付けられていました!



▲ 屋代方のモハ3536号車には、「さようなら/屋代線/90年ありがとう/2012.3.31」の文字が記されています。



▲ ヘッドマークは前後で違うデザインのものを装着しています。



▲ 須坂方のモハ3526号車には、「ありがとう 屋代線/1922.6.10-2012.3.31」の文字とともに、 1000系ゆけむり、2000系D編成、8500系が描かれています。


この他、モハ3526号車のヘッドマークには、バックに蒸気機関車のイラストが描かれていますが、これは屋代線の前身である河東鉄道が1922(大正11)年の開業時に導入した川崎造船所製の1型蒸気機関車の3号車ではないかと思われます。
同車はその後、1934(昭和9)年に加悦鉄道に譲渡され、1968(昭和43)年まで活躍した後、現在も京都府にある「加悦SL広場」において保存されています。

なお、ヘッドマークが装着されているのはオー6編成のみで、昨晩の時点ではオー2編成には何も取り付けられていません。

今回も取り敢えずの速報ということで。
また昼間明るい時にこのヘッドマークが撮れたら、追ってアップしたいと思います。



3月25日(日)、長野電鉄による「2000系D編成引退記念特別ツアー」が催行され、2000系D編成が長野→湯田中、湯田中→屋代、屋代→須坂の行程で運行されました。

今月末をもって引退することになっているD編成にとって、恐らく最後の旧山ノ内線区間乗り入れになると思われ、車内はツアーの参加者で満員御礼、沿線は撮影者で満員御礼と、大変なお祭り騒ぎとなりました。

このツアーに合わせてなのか、これ以降に運転される定期列車代走もすべてそうなのかは不明ですが、編成の両端にはD編成の引退を記念して、(24日のものとは全く異なる)新たなヘッドマークが取り付けられました。



特急 湯田中」行きの表示も誇らしげに村山橋を渡る「2000系D編成引退記念特別ツアー」の団体列車。


てっきり「団体」表示で来るものと思っていたら、ファインダー越しに特急の赤い文字が見えて超ビックリ! やはり特急車には特急の表示が良く似合うと思います!

なお、ヘッドマークには「信濃路の四季を48年/この日が参りました。ありがとう/長野電鉄/1964(リンゴマーク)2012」の文字が、春の野原、夏の高原、秋の実り、冬の温泉のイラストとともに書かれています。イラストにはリンゴや栗、温泉に浸かるお猿、そしてゆけむりなどとともに先に旅立った2000系B編成、C編成、そしてA編成も描かれ、D編成の最期に花を添えているかのようです。




▲ モハ2007号車のヘッドマーク。


▲ モハ2008号車のヘッドマーク。


ところで、この2枚のヘッドマーク、実は細かなところに違いがあり、作成された方の拘りが感じられるものとなっています。
お気づきの方いらっしゃいますか?
(実は、私も25日に乗車した屋代線の車内で会った友人から気づかされた次第です(^^;ゞ あ、ちなみに色調の違いではありませんよ。それは写し方の問題で…(^^;)
正解は、この日の記事の詳細版とともに、お届けしようかと思います。この下に追記しておきましたので、ご覧くださいませm(__)m


今晩も、取り急ぎの速報版でした。
昨日(25日)お会いした皆さま、大変お疲れさまでした&ありがとうございましたm(__)m




















(3月27日午前0時25分追記)
モハ2007号車とモハ2008号車に取り付けられたヘッドマークの微妙な違い…それは、マークの中心に描かれているD編成の車号が、ちゃんと取り付けられる車両によって「2007」「2008」となっていたことです。
残念ながら、それがハッキリわかるように撮った写真がないため、今週の定期運行時にリベンジできればいいのですが、今週になって何種類ものさよならマークが登場しているようで、もう一度このマークにお目にかかれる確率は…どんなもんなんでしょう??





…2000系D編成でした。

3月24日(土)、長野県内の放送局主催のイベント列車が湯田中~屋代~須坂間で運転され、これに2000系D編成が使用されました。
屋代方のモハ2008号車にはこのイベント列車のヘッドマークが、そして湯田中方のモハ2007号車には、いつもの鹿ピョンマークをベースにしたこんなマークが取り付けられていました。





ベースが真っ赤で、非常にインパクトのあるヘッドマークですが、縁には「さようなら D編成/長野電鉄」の文字が書かれています。

この3月末で姿を消す屋代線と2000系D編成、先にサヨナラマークが付いたのはD編成でした。

取り急ぎ、速報的な記事として、アップしておきます。
詳細はまた落ち着いてから…

本日(24日)お会いした皆さん、お疲れさまでした&ありがとうございましたm(__)m





昨日の続きで、3月4日(日)に行なわれた『169系湘南色&1000系「ゆけむり」共演撮影会』の様子及び「ゆけむり」の返却回送の様子などをお届けします(^^)/

「ゆけむり」の送り込み回送を松代の先まで追っかけし、そのまままつさんの車に便乗させていただいたまま(当初の決意はどこへやら~(^^;)屋代まで行ってしまったわけですが、せっかく来たからには撮影会に参戦しないテはない…ということで、急行のヘッドマークと「ゆけむり」の組み合わせだけは一とおり撮影してみました(^^;
(※ 線路上からの撮影については、撮影会場として立ち入りが許可された場所から行なったものです。)



▲ 急行「信州」(以下、順不同です。…っていうか、頻繁に変わり過ぎてどうとったか良く分からないので…(^^;ゞ)



▲ 急行「志賀」(もしもD編成が展望電車3000系とデビューしていたら…こんな感じだったのでしょうか。)



▲ 急行「とがくし」



▲ 急行「妙高」



▲ 急行「高原」(2つ合わせて「妙高高原」…!?)



▲ 快速「169系湘南色号」(この後、屋代~上田間に運転された臨時快速列車です。撮影会も大詰め…というところで、次の運用の準備に入ったというところでしょうか。)



▲ 屋代駅の駅名標と。ここだけ色が抜けて透明な板でできた仕様になっています(^^;



▲ 屋代駅の駅番号は「Y1」。リンゴの縁取りが長野電鉄らしいです。印刷した紙をパウチしただけの仕様ですが、良く見ると書体も独特の駅名標っぽい凝った造りをしています。


撮影会がほぼ終わり…というところで屋代を後にし、再びまつさんの車で返却回送を撮るべく沿線へ。人出が多そうなところを避けて松代の先、高速道路を潜るあたりで。ちょうど空が晴れてきて、飯綱山がうっすらと顔を出してくれました。



▲ 松代で両パンに戻したのでしょうか。飯綱山に向かって走る姿(^^;を後打ちで。



▲ そのまま同じ場所に留まり、川田か綿内で交換してきたと思われる415列車を迎撃。日比谷線仕様のオー6でした。



▲ 松代に戻り、416列車を。松代らしい景色…ということで、「エコール・ド・まつしろ」の垂れ幕が掛かる出店と絡めて。



▲ 同じく416列車。松代停車中の姿を発条式転轍機の標識と絡めて。


以上、最初で最後の(!?)「ゆけむり」を引っ張り出しての撮影会etc.の様子でした。

ここでまつさんと別れ、私は帰途に就くことに。
まつさん、半日ありがとうございましたm(__)m また、お会いした皆さん、お疲れさまでした。



話が前後してしまいますが、今回は3月11日(日)の記事の続きです。

3月4日(日)、屋代駅で開催された1000系「ゆけむり」としなの鉄道169系S52編成を並べての撮影会のための送り込みと返却回送を撮ろうと、「朝のおつとめ」の後は屋代線へと転戦しました。

撮影会の開催時間帯及び定期列車の時刻から、回送列車のだいたいのスジを推測し、沿線で待ち構えることにしました。
撮影場所はいろいろと迷ったのですが、昨年のゴールデンウィークの時に開催された信濃川田での撮影会の際に、信濃川田の須坂寄りでは「ゆけむり」を撮影していますので、これより屋代寄りで撮ろうと考え、ひとまず離山隧道の飛び出しへと向かいました。

人出が凄かったら他へ行こうと思って現地に近づくと、やっぱりひな壇ができています。じゃあ他へ…と思っていたら、友人から声を掛けられ、そのまま壇に混ぜていただくことに。(ありがとうございます。)



▲ 一発目はド定番のアングルから。やってきたのはS2編成です。妙に徐行しているな…まさかサービス!?と思っていたら…



▲ どうやら向こう側で、線路に近づき過ぎた方がいたようで、盛んに警笛を鳴らしながらあわや停車!という速度で過ぎて行きました。おかげで振り返ってのアングルでも1カット稼ぐことができました(^^;
(お互いマナーを守って、特に事業者や地域の皆さまの迷惑にならないようにしたいものですね。)


時間的に定期列車との交換があるはず…ということで、2発目は松代で。



▲ 松代に着くと、既に須坂方のパンタを1つ降下させた状態で停車していました。



▲ 定期の412列車との交換。O2編成を期待したのですが、帯なしのO6編成でした(^^;


ここでまつさんと再合流、まつさんの車に便乗させていただき、停車時間の間に先回りをすることに。
北山隧道の飛び出しに群がる人々を横目にさらに奥へ、土口集落の中から沢山川の堤防を上るところを狙うことに。



▲ 片パン走行しているところが分かりやすいようにと、あえて横がちのアングルで。グランドにはだれもおらず…orz せめて遊具に群がる子どもたちの姿でもあれば、もっと画になったのかもしれませんが…(^^;
(よく見るとパンタの位置に架線柱が被っていますね(^^;)


あとは屋代駅の撮影会場へ。ホントは行かないつもりだったのですが…(^^;;;






(つづく)


今日はちょっと趣向を変えて、星空の話題など…

少し前の話になってしまうのですが、先週の今頃、夕暮れ後の西の空に明るい2つの星が輝いているのをご覧になった方も多いと思います。
この寄り添う2つの星は、太陽系の惑星である金星と木星で、天球上で見ると非常に近接した位置に見えます。日本で見ると、14日(水)に最も近接していたそうで、地上から見る2つの星は3度ほどの開きしかなく、ほとんど同じ位置にあるといっても過言ではないくらいでした。このような天体の現象を、「合(ごう)」と呼ぶそうです。

近接しているといっても、それは飽くまでも天球上の話で、実際この時の金星は地球から約1億2200万キロ、木星は約8億4400万キロと、木星の方が約7倍も遠くにあるわけです。

その「合」を、15日(木)の晩に横浜で撮影することができました。ちょうど日没間もない頃に外を歩いていたとき、この2つの星を見つけました。何とか撮れないかと思ったのですが、住宅街や商店街の中では電線がそこらじゅうに張り巡らされており、非常に鬱陶しかったので、どこか広いところへ…と思って辿り着いたのが小学校です。実はこの学校、私の出身校なのですが、こんな形で写真に撮るとは思ってもみませんでした(^^;



▲ 画面右から4分の1、上からも4分の1くらいのところに、2つの星が斜めに並んでいるのがお分かりになりますでしょうか。



▲ 拡大するとこんな感じです。右下に黒く映っているのは校舎です。右上の大きい方が金星、左下の小さい方が木星でしょうか。空が明るいといわれる都会でも、これだけしっかり見えるのですから、よほど明るく輝いているのでしょうね。



2000系のお名残乗車に出かけた17日(土)、須坂駅で入換中の3600系L2編成を見かけました。
車内でワインが飲めるという企画列車への充当だったようで、屋代~小布施間で17日及び18日の2日間運行されたようです。

残念ながら、屋代線内へ追い掛けることはできなかったので、須坂駅での入換えシーンだけですが、紹介させていただきます(^^;



▲ 車庫から出てきた3600系L2編成。屋代への回送に備えて、回送表示で出てきました。赤い文字の表示は、赤帯と同様に良いアクセントになっています。


コレを撮っていると上の方から呼ぶ声が。歩道橋にいらしたのはまつさんでした。毎週お疲れさまです(^^;;;



▲ ヘッドマークの代わりに、窓中にワインボトルのステッカーが貼られています。



▲ 車内は長机が用意され、宴会の準備は万端です!



▲ 5番線への進入を跨線橋の上から。



▲ そして5番線に停車中のL2編成。2000系との顔合わせも久しぶりではないでしょうか。


この後、しばらく待つさんと談笑し、私と子どもは4A列車「ゆけむり」で須坂を後にしました。


17日(土)の2000系乗車の際に、車窓から見たのですが、あえて別記事にさせていただきました。
(引き続き多忙モードであるのに変わりはなく、ちょっと時間稼ぎ的に予約投稿のネタにしたかったので(^^;)

203列車が柳原駅に差し掛かる前に通った踏切で、バスが踏切待ちをしているのが見えました。





下調べをしていないので、この踏切の名称が分からないのですが、この柳原駅長野方の踏切は、長電バスの[9]系統・平林線のうち、日中の市民病院経由便が通ります。日中でも30分毎と、それなりの頻度でバスが通るので、お目当ての列車とのコラボも狙えば可能…かもしれない(そんなに甘くない!?)でしょう。


3月31日(土)をもって引退することが報じられた長野電鉄2000系D編成。D編成の引退…というより、4編成在籍していた2000系車両が、この日をもってすべて引退ということになります。

定期運用を失った昨年春以降、週末を中心とした定期列車への充当により、細々と運行されてきた2000系ですが、最近では朝の206列車~203列車だけにしか充当されなくなっており、乗車のチャンスも限られたものとなっていました。





3月分として発表された定期列車への充当日は3月17日(土)・18日(日)の週末が最後であり、これ以降は団臨やツアーでの運行ばかりとなるようですので、実質的に自由に2000系に乗車できるのもこの日が最後のチャンスということになります。

本当は最後の18日に乗りに行きたかったのですが、どうしても外せない別の用事があったため、17日(土)に子どもを連れて乗りに行ってきました。








8時40分-須坂までの乗車券を購入してホームに降りると、1番線ホームには既に206列車として到着した2000系D編成が待っていました。週末ということもあり、同じ目的で乗車される方も多いと見え、ホームでも多くの方が撮影をしていました。





雨に濡れて長野に到着したD編成の車体は、艶やかに輝いており、あと半月で引退する電車とはとても信じられません。

8時47分、須坂までの26分間の旅の始まりです。各駅停車ですので、市役所前、権堂…と、一つ一つ丹念に停車をしていきます。





大きな片開きの扉、車内の化粧版と同じ扉は製造当時からのものでしょうか。さすがに建てつけが悪くなっているのもあるようで、ガラガラと音を立てて勢いよく開いたと思えば、途中でスピードを落とし、最後の方ではゆっくりと開く気まぐれな扉もあります(^^;


地上区間へ出ると、時折り強く降る雨の中を須坂へ向けて進みます。
以下、車窓から主だった景色を撮ってみました。2000系の引退後は3500系だけとなる“ツマミ”を引っ張って持ち上げる窓枠とともにお楽しみください(^^;



▲ 柳原では鯨と交換。



▲ 村山鉄橋を渡る。



▲ 橋の村山方に設けられた村山橋メモリアルパーク。2000系との組み合わせは短い期間でした。



▲ 須坂駅到着前、2003(平成15)年に引退したOS11編成が車窓に現れる。



▲ 続いて、昨年3月に引退した2000系A編成が姿を見せます。もうじき引退するD編成とともに、安住の地が早く見つかるといいですね(^^;

そして9時13分、須坂に到着です。さらに雨にもう一濡れした車体は、いっそう輝きを増していました。





直に入換えが始まり、大勢の方に見送られて、須坂駅2番線ホームを後にしました。
(もう少し速いタイミングでシャッターを切るはずだったのですが…(^^;)





(3月20日午前0時20分追記)
長野電鉄HPによりますと、19日付けの発表で、20日(火)も206列車~203列車での運行を行なうとのことです。



(3月26日午前1時00分再追記)
長野電鉄HPによりますと、23日付けの発表で、27日(火)、29日(木)、30日(金)に、長野~須坂間に3往復、長野~信州中野間に1往復の計4往復の定期列車を2000系D編成で運行するとのことです。
(運転日、充当列車の詳細等につきましては、長野電鉄HPで改めてご確認くださいませ。



先日、3500系O1(オーイチ)編成が、長野線を長野駅まで乗り入れてきたのを目撃しました。

O編成は、運賃後払い制のワンマン線区である屋代線(及び旧木島線)用として、3500系のうち6編成が20-30番台に区分されて投入され、現在は屋代線用としてO2編成及びO6編成、そしてその予備としてO1編成の3編成が残るのみとなっています。
通常、屋代線はO2及びO6編成で運用が賄われており、よほど運が良くないと(?)稼働している姿が見られないO1編成ですが、それが本来の用途である屋代線ではなく、長野線へ乗り入れた姿を見られたのは、この上ない幸運であったと考えても良いでしょう(^^;;

O編成は、屋代線の廃線と運命を共にする可能性が高いと思われ、長野線に限らずできるだけ記録しておこうと思います!






▲ 長野駅1番線に停車する3500系O1編成。長野到着後、信州中野行きとして折り返していきました。長野方の3531号車の助士席側に見える裏返った補助サボ、「屋代」の文字が透けて見えますが、方向幕が治った後もずっとそのままですね(^^;






▲ 乗降扉脇に設けられた整理券発行機(もちろん長野線では発行していませんが…ついつい手を伸ばすお客さんがいたのはここだけの話です(^^;)、そして運転台後方の運賃表示機がO編成の特徴です。



▲ そしてもう一つ、O編成の特徴として、長野電鉄最後の非冷房車ということが挙げられます。暗くてちょっと分かりにくいのですが、屋根上には冷房装置ではなくベンチレーターが載っています。




東京・横浜方面での所用を済ませ、昨晩(日が変わってあんまり経っていませんが、16日の晩のことです(^^;)長野に戻ってきていきなりショックなことが。

長野電鉄のHPに、2000系D編成の引退に関する記事が出ていました。
(実は、このことを知ったのは帰省中の15日のことですが、HPを直に見たのは昨晩のことです…)

3月31日-屋代線の最終営業日でもあるこの日をもって、
2000系D編成も引退とのことです。

昨年3月、マルーンのA編成が引退した当時は、“夏まで”ということで引き続き活躍の場が与えられていたD編成ですが、その後“今年春まで”延命されていました。屋代線廃線の日が近づく中、D編成の引退時期を示す“春”がいつなのか、ひょっとしたら4月の桜の時期ではないか、いやゴールデンウィークまで行くのではないかと、ずっと気になっていたのですが、これですっきりしました。

3月31日で最後…いずれこの日が来ることが分かっていたとはいえ、やはり寂しいです。
これから月末に掛けては、団臨やイベント運行が目白押しのため、一般の列車として自由に乗り降りができるのはこの週末がラストチャンスでしょうか。時間が作れるか分かりませんが、たまには沿線で撮るばかりではなく、ゆっくりとリンゴ色の電車の草臥れたシートに身を委ねるのも悪くないかもしれません。














桐原駅-ここ最近は、気軽にアクセスできる場所として、いちばん足しげく通った場所かもしれません。
今月初め、平日に休みを取った際に撮影した206列車~203列車です。この日は近くの県立高校で入学試験があったそうで、駅員さんが改札で中学生たちを「頑張ってこいよ!」と力強く激励していたのが印象的でした。

あと半月、力の限り走ってくれることを願っています!



年度末がすぐそこまで迫り…ご多忙な時期を迎えていらっしゃる方も多いと思います。
私もご多分に漏れず、3月末は決算期ということもあり、例年どおり(例年以上に!?)忙しくしているのですが、ここへきて出張そして帰省(実家に急用ができたため…)と、週の半分以上を家にも会社にもいない状態で過ごしていたものですから色々溜まってしまって、まぁ大変です(^^;;;
いただいたコメントや業務連絡への返信も滞りがちで、大変失礼していることをお許しくださいませm(__)m

これから、卒業や卒園、そして入学・入園など会社以外にも大きなイベントを控えていらっしゃる方も多いと思います(ウチもそうですが(^^;)が、皆さまにはどうぞ体調には十分に配慮され、多忙な時期を乗り切ってくださることを願っております。

かくいう私も、家庭や仕事以外にも、「3月31日」に大事なイベントがありますので(汗、この日に照準を合わせ、体調も身の回りのやるべきことも、万全な状態に持っていきたいと思います。



▲ 3月31日をもって、長野電鉄から発条式転轍機(スプリングポイント)が消滅するようです。夜は標識に灯が点り(昼間も点いているんだけど見えないだけとか…??)、より存在感が増します。この脇を反位側から列車が通り抜けた後、一瞬の静寂を置いて「ガコン!」とトングレールが元の位置に戻る独特の音が聞けるのも、あと僅かです。


まとまりのない文章でスミマセン(^^;;;
そして、しょーもない内容で、1日分を使ってしまいました。バスとか鉄道の記事を楽しみにしてくださっている方、ごめんなさいm(__)m


朝から雪混じりの雨が降る長野駅前に到着した川中島バスの40814号車。時間はすでに7時半を回り、時間的に考えても大阪線ではなさそうです。降車が終了したバスに近づいてみると、何やら見慣れない行先表示が。どうやら、これが2月1日から運行開始した高速バスの新路線・長野〜千葉線のようです。



▲ 前面の行先表示器には「[高速] 松本・長野」と表示されています。アルピコの高速バスで、松本と長野の表示を同時に出すというケースは、恐らく初めてであると思われます。
(以前は、宮城交通が運行していた「信州ライナー」(仙台〜長野・松本)で、「長野・松本」という表示がありましたが…)



▲ 後部の表示器にも、「[高速] 松本・長野」の文字が。この日はたまたま40814号車でしたが、40458・40459号車や、40886、41068号車などが登板することもあるのでしょうか。



▲ 側面の行先表示。バス停に停まっている間は、「[高速] 松本・長野」の下段に、「松本経由長野行きです。主な途中停留所は、中央道茅野、松本BT、長野○○…(←記録漏れ(^^;)」の文字がスクロールしています。




3月1日(木)の記事で、松本電鉄バスの日野セレガGD・10700号車が、川中島バスへ転属、特急バス・長野〜白馬線の運用に就いている旨を紹介しましたが、10700号車の1年前に導入された同じセレガGDの10600号車(松本22あ17-87)も(既に同記事へのコメントでいただいているとおり)川中島バスへ転属したものと思われる姿を確認できました。



▲ 夕方、長野駅東口から白馬方面への特急バスに充当されるため、待機場所の長野バスターミナルから長野駅東口へと回送される元松本電鉄バス・10600号車。10700号車とは異なり、前面の方向幕はそのまま使われており、特急 白馬」の表示が出ています。



▲ 10700号車同様に、側面の社番は消去され、社名標記も「アルピコ交通」のみとなっています。


それにしても、この車両も元々白馬営業所にいた10410代のセレガGDと登録番号が似ている(1787⇔1687)んですよね(^^; ちょっと見ただけでは分からないので、ひょっとしたらこれまでもそれと気がつかずにやり過ごしてしまっていたかもしれませんね。






今月末-3月31日(土)までの運行となる長野電鉄屋代線(屋代~須坂)に代わり、4月1日(日)からは長電バスによる屋代須坂線(屋代駅~須坂駅)が運行されます。



▲ 信濃川田駅の待合室に貼られた屋代線代替バス・屋代須坂線の運行開始を知らせるポスター(上)。長電バス1122号車に「屋代須坂線」と表示させたものが写っていますが、実際にどのような車両で運行されるのか気になるところです(^^;


既に、長野電鉄・長電バスHPや駅等の掲示物により、新しいバス路線のダイヤや運賃などが公表されていますが、その中に気になるものを見つけました。



▲ 長野駅で入手した屋代須坂線に関する案内リーフレット。見開きの4つ折りで、たたむとA4判になります(表裏でA4×8ページ分)。


このリーフレットの中には、バスの時刻表、運賃表をはじめ、路線図や注意事項などが記載されています。
その中に見つけたものとは-コレです。



▲ 若穂地区の拡大版路線図には、屋代須坂線以外の2つの路線の時刻表が記載されています。


2つの路線とは、1つが「綿内屋島線」、もう1つが「綿内村山線」です。
綿内屋島線は、綿内駅から綿内小学校、湯~ぱれあなど綿内地区をぐるっと周回、須坂長野東インターを経由して、長電バス[8]系統・屋島線へと合流、長野駅へと至る路線(屋島線の停留所も利用可)で、綿内駅~長野駅東口・長野駅に1日10往復(うち1往復は土休日、年末年始等運休)設定されています。
また、綿内村山線は、綿内駅から牛池交差点、須坂長野東インターを経て村山駅へと至る路線で、途中停留所はこの2か所だけです。朝は綿内駅⇒村山駅方向に2本、夕~夜は村山駅⇒綿内駅方向に2本設定され、綿内地区からの長野・須坂方面への通勤・通学の足を確保するのが目的のようです。
いずれも、長野電鉄・長電バスのHP等でも路線開設の案内は無いのですが、唯一、屋代須坂線の路線図の中にはしっかりとこの2つの路線が描かれています。
正直なところ、バス路線かどうかもリーフレットを見ても不明(ひょっとして乗合タクシーとか!?)なのですが、村山駅行きはともかくとして長野駅へは1日10便も乗り入れるのなら、ぜひバス路線であってほしいところです。
鉄道は無くなってしまいますが、今までになかった流れの移動を可能にしてくれる公共交通手段の開設は、大いに歓迎したいと思います。



2010(平成22)年6月1日から同年12月31日までの間運行された長野~信州まつもと空港間の特急バスに合わせ、FDAの真っ赤な機体をあしらったラッピングバスとして運行されていた日野セレガFSの40411号車が、アルピコカラーに戻った姿をようやく記録することができました。
特急・長野~松本空港線の運休後(厳密には、“廃止”ではないようです(^^;)、凡そ1年にわたって運行されたFDAラッピングのバスは、これをもって消滅…ということになります。
(アルピコカラー化の時期は不明ですが、湯さんのブログでは、今年1月4日にラッピング解除後の40411号車をご覧になったとの情報がありますので、恐らく年を越す前にはラッピング解除されていたと思われます。)



▲ ラッピング解除後の40411号車をやっと撮影することができました。同車の外観は、長野~松本空港線の運行開始以降、「Airport Express」⇒「信州ウイングライナー」⇒「ロゴなし」と目まぐるしく変わりました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


余談ですが、古いチラシを整理していたら、こんなものが出てきました(^^;





恐らく、長野~松本空港線の運行開始を知らせるリーフレットだと思うのですが、まさかこんなに早く路線が無くなってしまうことになるとは…せめてこのリーフレットは大事に取っておこうと思います(^^;;;





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