昨年12月21日(月)の記事で紹介した、信南交通の高速用ニューエアロバスの車体に、飯田市内で開催される「お練りまつり」(3月25日(金)から27日(日)まで)のラッピング広告が施工されている件について、他の車両でも同じラッピング広告が施工されているのを確認することができました。





▲ 前出の記事で紹介した359号車同様に、車体後方に「お練りまつり」のラッピング広告が施工された562号車。広告の基本的なデザインは359号車と同じですが…



▲ KL-代の359号車(▲)と比較すると、PJ-代の562号車(▲▲)とはリアの灯具類の配置の違いから、細部が微妙に異なるデザインとなっています。



今月になって、信南交通の高速車数台に飯田市で来年3月に行なわれる「お練りまつり」のラッピング広告が施されているのを目撃しています。
このうち、ニューエアロバス・359号車を長野市内で捉えることができました。



▲ Nエアロバス・359号車の後部に施された「お練りまつり」のラッピング広告。


信南交通の車両は、これまでリアのみにラッピング広告が入るというケースが一般的でしたが、このラッピング広告ではそれが公式側・非公式側ともに後輪の付近まで回り込んでいます。これによって、側面後方下部の「信南交通」の文字が、サイドのオレンジ色のラインの上部に移されています。


「お練りまつり」は、2016(平成28)年3月25日(金)~27日(日)に飯田市内で行なわれるお祭りです。善光寺御開帳や御柱祭などと同様に数えで7年に1回行なわれており、前回は2010(平成22)年に開催されました。詳しくは、公式ホームページ等の情報をご確認くださるようお願いいたします。



先日、新宿駅西口で信南交通の高速車・989号車990号車を目撃しました。

検査標章から、昨年10月頃に登録された車両であると思われ、この2台以外にも991号車というのが在籍しているようです。



▲ 駒ケ根から新宿に到着した990号車(右)の脇を抜けていく駒ケ根行きの989号車(左)。いずれも最新式のふそうエアロエースです。


登録ナンバーが「松本200か・989」「同・990」ということで、松本ナンバーも長野に遅れること約5年でようやく1000番の大台を突破しそうです。



だ~いぶ前の記事(正確には、2009年10月22日の記事(^^;)に、高速バス・新宿~飯田線の“超特急便”のことを書いたことがありましたが、そんなことも忘れたころになってようやく“超特急便”の現物を目にする機会に恵まれました。





▲ 新宿~飯田間の一部便は、新宿西口~駒ケ根インター停留所までの間、途中中央道日野停留所のみにしか停車しない速達便で、“超特急”の種別が与えられています。


速達便とはいっても、飯田までの所要時間は10分ちょっとしか差がなく、この辺りは超特急「ひかり」と「こだま」ほどの差にはなっていないようです(^^;;;



▲ 車両後部のLED表示をアップで。「超特急」の文字が印象的です(^^;



毎年1~2台ずつのペースながら、増備が重ねられている信南交通の高速用エアロエース。
今年も2台が投入されたようで、そのうちの1台を長野市内で捉えることができました(^^)v



▲ 飯田~長野線にて運行中の信南交通・919号車。今年8月頃の登場と思われる車両で、形式は最新式のQRG-MS96VPとなるようです。この形式から空調は直結式に変更されていますが、この919号車では天井設置型の空調を採用しているため、従来車との外観上の差異はそれほど大きなものとはなっていないと言えます。
(※ 2013年9月撮影。なお、現在この撮影場所(歩道橋上)は工事中のため、立ち入りができなくなっています。)



▲ QRG-代になってから行なわれたマイナーチェンジにより、車間距離警報装置が標準装備となったため、バンパー中央にセンサーが設けられ、併せてナンバープレートの設置位置が向かって右寄りにオフセットされているのが特徴です。



▲ リアのLEDが右寄りにオフセットされていることから、最後部に設けられたトイレは通常仕様であると思われます。


信南交通の場合、車両の年式等に関係なく運用が組まれているようで、このように最新式の車両でも県内便に充当されることがあるようです。



昨日に続き、信南交通の話題を…
(ホントは昨日限りで営業運行から退いたしなの鉄道の169系の話題でも…と思ったのですが、一応この話題も「169」つながりということで(^^;;;)

先日、長野バスターミナルでバスを下車した際に、後方の高速バス待機場所に停まっている信南交通のニューエアロバスが、変わった行先を表示していることに気がつきました。



▲ 高速バス待機場所のいちばん前に停車していた信南交通のニューエアロバス・169号車(^^; よく見ると行先の文字数が多いような…??



▲ 通常、飯田方面行は特急 飯 田」を表示するのですが、このバスはなぜか特急 飯田駅を表示しています。


みすずハイウェイバスの飯田方の終点は、2011(平成23)年9月30日をもって飯田バスセンターが廃止されたことに伴い、翌10月1日から一つ手前の「飯田駅前」になっており、この行先でも間違いではない(…というよりむしろこの方が正確な行先を表わしています(^^;)のですが、通常とは異なる行先を表示しているのは運転手さんの任意の判断によるものなのでしょう。

川中島バスでも、42092号車や40857号車等のローマ字表記の無いタイプのLEDには、長野方の行先として特急 長 野」特急 長野駅東口」特急 長野駅・県庁」特急 長野駅」の4パターンが入っているようですが、これも原則として路線によって使う行先が決まっているものと思われる中で、時々普段とは違う行先を表示しているケースが見られますね(^^;

(※ 画像は2点とも、長野バスターミナルのプラットホームから撮影したものです。)


先日、夕方のみすずハイウェイバスの飯田行きが、信南交通車2台により運行されているのを目撃しました。
県外高速バスに多い「1号車=本務車=トイレ付き車両」、「2号車(以降)=続行車=トイレ無し貸切車等」のパターンではなく、どちらも本務車として使用されるトイレ付き車両でした。
ちょうど週の終わりの夕方の便でしたので、学生あるいは社会人等の大口利用(サークル活動や社員研修等?)があって、続行便を出したものと思われます。
(私自身は初めての目撃でしたが、続行便の運行はしばしば行われているのでしょうか?)



▲ 中央通りを南下し、末広町交差点を通過する2台の信南交通車。1号車はニューエアロバスの359号車。



▲ 続いて通過するのはエアロエースの796号車。


余談ながら、359号車の方向幕には特急 飯 田」と表示されているのに対し、796号車のLED表示器には高速 飯 田」と表示されており、種別表記が異なっている面白い状態となっていました(^^;



1~2年ほど前になるでしょうか、信南交通が「2010年3月末を目処に、(高速バス以外の)路線バスから全面撤退する」という話を耳にしたような記憶があります。経営者の言葉として、「地方の路線バスの維持は、もはや一企業の努力だけでどうにかなる問題ではない」というのが印象に残ったのですが、果たしてその2010年3月が過ぎ、4月になりましたが、信南交通の路線バスはどうなったのでしょうか?

昨年の秋以降、飯田方面へ赴く機会がないので、現地の情報が全く無いのですが、信南交通のHPには“早稲田(阿南)営業所の閉鎖”“一部路線の廃止・ダイヤ改正”の発表があるだけで、特に路線バスから全面撤退したという情報はありません。

もっとも、同社により運行される路線バスは、大半が地元自治体からの委託を受けて走らせているバスですので大きな変化がないように見えるのも無理のない話かもしれませんが… その後の動きの詳細が気になるところです。







(飯田発駒場(阿智村)経由昼神温泉郷行きの路線バス。大型車による運行、国道を走る路線は、かつての幹線系統である証。専ら経年車の三菱エアロスターMが充当されることが多い中にあって、最近になってからも新車による車両投入が行なわれている。)



前回の記事で、「ローカルバスの終点へ」のルートである平岡~和田~程野間(天龍村~旧・南信濃村~旧・上村)を辿り終えたところですが、終点の“程野”停留所に着いたところで、妙なものを見つけてしまいました。

それがコレです(↓)。




一見、信南交通には有り触れたデザインの普通のバス停看板ですが、社名の“信南”のところだけ、赤いペンキの色が周りと異なっています。
さらに、よ~く目を凝らしてみると、その下には“伊那”の文字があるように見えるのです(↓)!!






昔は、“程野”の停留所を通る路線バスは、伊那バスの運行だったとでも言うのでしょうか!?


ここで、ちょとだけ伊那バスの歴史を紐解いてみることにします。
伊那バスは、
1919年 : 伊那自動車株式会社として創業
1945年 : 信南交通株式会社に統合(戦時統合)
1949年 : 信南交通株式会社から分離・独立
1975年 : 社名を「伊那自動車株式会社」から「伊那バス株式会社」に改称

という経緯を辿っています。
1945年に戦時統合により木曽・伊那地方のバス会社4社を統合した際に、一時的に「信南交通」となっていた時期がありましたが、1949年の経営分離の際、上伊那地方を運行エリアとするバス会社として独立しています。

つまり、下伊那地方である“程野”の停留所を通る路線バスは、ずっと信南交通の運行である(少なくとも、伊那バスの運行であった時代は無い!?)ということであり、このバス停看板の社名書き換えの根拠とはなり得ない気がします。
もっというと、信南からの分離・独立が行なわれた1949年以降1975年までは、「伊那自動車株式会社」を名乗っており、バス停看板の社名とも異なります。

それでは、いったいどういう事情があって、このバス停の社名が書き換えられているのでしょうか。
一つ、オチとして考えたのは、程野ではなく全然別の場所にあった伊那バスのバス停看板を、停留所名ごと書き換えた上でここまで持ってきた-ということです。
詳しく調べたことは無いのですが、会社が統合されていた時代があったからか、両社のバス停看板のデザインは非常に良く似ている(シンプルですので、似ているも何も無いのかもしれませんが…(^^;)ような気もするのです。
でも、現在は別々の会社である2社の間で、バス停看板の融通なんてするものなんだろうか…という別の疑問が沸いてきました。


真相はどうなのでしょうか。
どなたか、詳しい経緯をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示くださると幸いですm(_ _)m



またしても飛び飛びになってしまったこのシリーズですが、今回は最終回の“その6”をお届けします。
(参考までに、“その1”は2月19日、“その2”は2月21日、“その3”は3月2日、“その4”は3月7日、“その5”は3月10日に掲載しています。カテゴリで、“信南交通”とソートしていただければ、これまでの記事を順にご覧いただくことができます。)

前回の記事で紹介した、通年かつ終日片側交互通行の“浦の沢トンネル”を抜けてからおよそ10分、旧・南信濃村中心の和田営業所から30分の距離にあるのが、ここ“程野”の停留所です。かつて、三遠南信自動車道(国道474号)・矢筈トンネルが開通する前は、ここが平岡・和田からの路線バスの終点であり、故・宮脇俊三氏がその著書「ローカルバスの終点へ」で目指した終点でした。

当時は、ここから交通機関を使って飯田の街へ行くには、これまで辿ってきたルートを逆に平岡までバスに乗り(乗り継ぎ時間を考慮しない所要時間が約1時間)、平岡駅から飯田線に1時間以上乗らなくてはなりませんでした。つまり、通勤、通学や通院ができるような場所ではなく、ともすると日帰りするのにさえ相当な時間的制約を受けていたことだろうと思います。それが、1994年に矢筈トンネルが開通したおかげで、程野~飯田市街がバスで約1時間にまで短縮されたのです。

路線バスの終点だったとはいえ、元々国道152号が南北に貫いている場所(このまま北へ向かうと、大鹿村境の地蔵峠手前で車道としては途絶(未整備区間)していますが…)だったため、終点らしい閉塞感はなく、道路端に待合小屋とバス停が1つ(本数の都合か乗客の流れる方向ゆえか、飯田方面側の停留所で上下のものを兼ねているようです。)ポツンと建っている状態です。ここでバスが折り返していた当時、どのようにバスが転回していたかは、分かりませんでした。
(交通量もそれなりですので、やろうと思えばどこででも転回できそうですが…(^^;)




(小奇麗な印象の程野停留所と待合小屋。屋根の道路側には、「三遠南信遠山郷線バス停留所 上村・程野」の文字が。)



(屋根の側面には、都会チックなバス停のアイコンが描かれており、設置場所とのミスマッチが何となく微笑ましい(^^;)



(程野停留所の近くには、国道沿いに家や小さいながらも会社が並ぶ。向こうが矢筈トンネル方面。)



(振り返って上町・和田方面を望むと、上村川の対岸に新しい橋脚が立ち並んでいる。将来の道路改良の先行投資であろうか。)



(国道の改良もかなり進んでおり、一部を除いては比較的走り易くなっている。この場所に道幅20m、片側2車線の高速道路が必要か、些か疑問であるが…)



さて、これで「ローカルバスの終点へ」のルートを辿る目的は達せられましたが、折角ですので、矢筈トンネルへと足を進めてみたいと思います。
“矢筈トンネル”は、飯田市の隣村の喬木村と旧・上村(現・飯田市)にまたがる全長4,176mのトンネルで、1994年3月に国道474号として開通しました。将来的には、三遠南信自動車道に転用されることを前提に建設されたのが特徴で、暫定2車線の供用ながら高速道路と同規格で建設されています。
このトンネルの前後には、やはり将来的に高速道路と一般道の連絡路となる予定の“喬木インター”“程野インター”が設けられ、特に喬木インターは山中に林立する道路の橋脚と、建設途中で山にぶち当たって終わっている本線が印象的です。




(矢筈トンネルの喬木インター側入口。)



(高架の右下には、矢筈トンネル開通以前に赤石トンネルを越えて上町の集落へと抜けるのに使われていた県道251号(上飯田線)が見える。(※ 道路は今も現役です。))



(三遠南信道予定区間はここで終わり。この先の高架は山肌にぶち当たって終わりのため、全車インターのループを下りて行かなくてはならない。)



(画像中央の高架は将来、飯喬道路として天竜峡インターからの道路と接続される予定であるが、現在は山肌に当たったところで建設が終わっている。)



(山中に林立する橋脚、そして大きく弧を描いて上り下りするインターのループ。ここだけ異空間の雰囲気満点。)



飯田行きの路線バスは程野から先、“小沢橋”という停留所を通った後、程野インターから矢筈トンネルに入り、一気に喬木村へと下りていきます。小沢橋から先は、喬木村の“近藤商店前”の停留所まで約18分間、途中にバス停はありません。
“近藤商店前”から先、飯田市街まではあと約40分です。


(おわり)


シリーズ第5弾をごく簡単にお届けします。

旧・南信濃村から旧・上村へと進み、「上町」と呼ばれる旧・上村の中心集落を抜けた国道152号線(秋葉街道)は、さらに北上を続けます。飯田とを結ぶバスも、引き続きこの道を通ります。

途中(停留所でいうと、下中郷~上中郷の辺りだと思うのですが、正確には記憶していません…orz)には、“浦の沢トンネル”という隧道があり、この辺りの国道152号線の中でも特に道が狭隘な箇所です。特に、浦の沢トンネルは1車線分しか道幅がなく、年間を通じて信号による片側交互通行が行なわれています。
この区間の交通難を解消することと、三遠南信自動車道の現道活用を目的として、「一般国道152号向井万場(むかいまんば)拡幅(※)」という事業が、長野県を主体として施工され、この区間を川の対岸へ迂回し、延長約470mの“豆嵐(まめぞれ)トンネル”を掘る工事が進められています。

(※) 起点:長野県飯田市上村程野~終点:長野県飯田市上村上町間の6.3km区間の道路改良事業


ここを通った当時は、まだ上町側から浦の沢トンネルを抜けた先(上流側)の鉄橋がようやくかかり、トンネル工事もまだまだこれからという状況でした。工事現場の近くに僅かな待避所を見つけ、撮ったのがこの写真です。



(ようやく架けられたばかりという鉄橋と、その先には豆嵐トンネルを掘る予定の岩盤が剥き出しになっています。現・国道152号の位置から見て、手前が和田・上町方面、この先右前方が程野・飯田方面です。現道と鉄橋は、この先で合流します。)


その後、豆嵐トンネルは昨年9月に貫通式が行なわれ、今は覆工や舗装工事の真っ最中だそうです。2本の鉄橋とともに供用が開始されるのは、平成23年中とのことです。


【参考】
今回の話題の位置関係が分かりにくいという方のために、しらびそ高原にある公営宿泊施設「ハイランドしらびそ」の公式ブログを紹介いたします。2009年8月28日の記事に、このトンネル工事の全体図が載っているので、ご覧になることをお勧めします。
(検索サイトで、「豆嵐トンネル」と探すと、トップに出てくるページでもあります。)
アドレス:http://shirabiso.com/?eid=386


さて、次回はいよいよ「程野」に辿り着ける…でしょうか??


遅々として進まないこのシリーズ(スミマセン…)の“その4”をお届けします。
(参考までに、“その1”は2月19日“その2”は2月21日“その3”は3月2日に掲載しています。)

さて、旧・南信濃村の中心部にある和田営業所を出発し、国道152号線(秋葉街道)に沿って北上すること約15分、旧・南信濃村のさらに前身である旧・木沢村の中心を過ぎると、「本谷口」というバス停があります。



(利用者数の割には…というと失礼かもしれませんが、立派で綺麗な待合小屋が建っています。向かって左が平岡・和田方面、右が程野・飯田方面です。)


これまで国道に沿って流れていた遠山川は、ここで国道から逸れ、東の谷へと分け入っていきます。そしてここから先は、国道に沿って流れる川は上村川に代わります(本谷口の少し下流側で遠山川に合流)。
バス停の前の上村川には、“梨元橋”という比較的大きな橋が架かり、遠山川に沿って上る細い道が続いています。



(梨元橋を渡り、遠山川に沿って細い道が上っていきます。手前が国道152号、右へ行くと和田方面、左へ行くと程野方面です。)





また、この停留所の前は、広い空き地となっており、その道路に面した一角には、このようなものが保存されています。





そう、森林鉄道です。
ここは昔、「梨元貯木場」と呼ばれたところで、第二次大戦中から昭和40年代にかけて、遠山川に沿って敷かれた遠山森林鉄道により、国有林の積み出しが行なわれていたところです。今は空き地となっている広場には、全盛期にはたくさんの線路が敷かれ、木材を積んだ貨車で賑わっていたのでしょう。林鉄は、昭和48年を最後に撤去され、往時を偲ぶモニュメントとして、機関車と客車が保存されているようです。

バス停の脇には食堂があり(お休みの日のようでした…)、その店の名前にも“ていしゃば”という言葉が入れられています。





森林鉄道の車両に近づいてみると、脇には遠山森林鉄道を紹介する案内板が出されていました。



(保存される林鉄の機関車と客車。背後の谷に沿って線路が敷かれていました。)



(年表から主要事項を…昭和15年7月着工、昭和19年12月梨元~大沢渡間竣工、昭和43年12月国有林材の搬出完了(以後は主として民有林材搬出)、昭和44年10月から昭和48年10月にかけて段階的に撤去…路線総延長30.5km、最盛期には240両を超える貨車を運行していたそうです。)



(現在地は、梨元貯木場跡です。)



ここからかつてのバスの終点「程野」までは、旧・上村を抜けてまだ20分以上先のところです。


「乙姫」の停留所から約10分、秋葉街道と呼ばれる国道152号と八重河内川が近づき、さらに少し先へ行くと、旧南信濃村の中心部に差し掛かります。
現在は、旧村の中心部を迂回するバイパスが通り、温泉施設「かぐらの湯」や遠山郵便局などが通り沿いにあります。

バイパスではなく、旧道をそのまま行くと、集落を抜ける国道152号沿いに「信南交通和田営業所」があります。
営業所は、それまでの建物が老朽化したために2007年6月に建て替えられ、こじんまりとした佇まいの建物に生まれ変わりました。約20坪ほどの建物には、待合室、出札口、運転手さんの詰所…などひと通りの機能が揃っています。



(地元産の遠山杉を多用した明るい雰囲気の建物です。奥の建物は、公民館兼図書館のようです。)



(待合室には、かつてバスで使用していたかばんや両替機などが展示されるミニコーナーがあります。)



(営業所建物の向かいには、バスの車庫があります。こちらは一部の柱が新しくされているようですが、基本的に昔の佇まいのままのようです。)



(車庫内には、朝、平岡駅前で見かけたバスが休んでいます。 ※ 敷地の立入り・撮影に際しては、許可をいただいています。



(車庫の建物を裏側から。)



(車庫の壁の前にはこんな看板が。この地域がリニアの恩恵を受ける頃まで、この営業所が健在でいてほしいものです。)



(同じく車庫の壁に掲げられた年代物の地図。どれぐらい昔のものでしょうか??)




地図の左寄りに、ここ和田営業所があります。そこから右へ辿ると、遠山郵便局(現在はバイパス沿いに移転)があり、そこから奥(地図の上)へ入ると、擦れかけた“遠山村役場”の文字があります。
平成17年に飯田市に合併した当時の自治体名は、“南信濃村”です。
遠山村は、その南信濃村のさらに前身で、1960(昭和35)年4月に木沢村と合併して南信濃村になっていますので、この地図は昭和30年代頃に作られたものということになります。今から50年以上も前ですが、前の営業所もその頃の建築と聞いていますので、この車庫が新築された時から掲示されたままということではないえしょうか。
(なお、“遠山村役場”の場所は、“南信濃村役場”を経て、現在は“飯田市南信濃自治振興センター”となっています。)


営業所では、朝の運転手さんが詰めていらっしゃいました。撮影のお礼の挨拶をし、回数券を買い求めて営業所を後にしました。


平岡を出発したバスは、天竜川に設けられた平岡ダムを横目に、支流の遠山川に沿ってさらに山奥へと分け入っていきます。方向的には北東の方角です。

平岡を出てから約10分(バスでの所要時間でカウントしています。)、遠山川に架かる真っ赤で立派な吊り橋が目に入りました。ここで小休止、橋の袂にあるバス停へと近づきます。








「乙姫」…何ともロマンチックな名前のバス停です。
付近には、これといって何も見当たらないので(^^;、恐らく橋の向こう岸に住んでいる方が利用することを考えてのバス停なのでしょう。
(もしかして、むかし話の人?)





バス停のある小屋を見ると…中に変わったものが設けられています。





何と、“新聞受け”です。(ひょっとして、郵便受箱兼用!?)

橋の向こうに住んでいる方は、毎日ここまで新聞(や郵便)を取りに来るのでしょうか。
(しかも、新聞受けが2つしかないということは、この先には2軒の家しか無いということ…!?)

渡ってみたい(もちろん徒歩しか方法がありませんが)衝動に駆られましたが、次の予定のために、日暮れまでには飯田市に到着したいため、ここはガマンしました(^^;





制限重量が2tということは、軽トラぐらいは物理的に通行可能なのでしょうか?








それにしても…立派な吊り橋です。
(“引き”が取れなかったので、その全容を上手く写せませんでしたが…)






このところ、新しいネタの収穫がそれほど多くないため、過去に撮影した画像の紹介等でお茶を濁している状態が続いています(^^;
今回は、南信地方の話題を取り上げます。北信、中信、東信ときて、南信を取り上げたことで、長野県の4つのエリアを制覇することができました(^^)v
(長野五輪ネタももう少しだけあるのですが、先に新シリーズ(^^;のネタ振りだけしておきます。)


かつて、故・宮脇俊三氏が『ローカルバスの終点へ』という作品を世に出されたのをご存知でしょうか。
氏は、その作品の中で、長野県最南のローカルバスとして、信南交通の平岡(天龍村)~程野(旧・上村(現・飯田市))間の路線バスを紹介されていました。

現在は、三遠南信道の矢筈トンネルが開通したため、飯田市の中心から喬木村を経由してこのトンネルを通り、飯田~(矢筈トンネル経由)~程野~上町(旧・上村)~和田(旧・南信濃村(現・飯田市))~平岡と、路線バスで辿ることができるようになりました(注:本数が非常に少ないため、この区間を乗り通すには、飯田→平岡方向は途中の和田地区等で一泊する必要があります。)が、宮脇氏がこの地を訪れた当時は、まだ矢筈トンネルは無く、平岡を始発とするバスは、程野の停留所で終点となっていました。

以前、所用で南信地方を訪れた際に、飯田線の平岡駅前で宿泊する機会があり、その帰路に、飯田市までの間をこのバス路線に沿い(国道418号線~国道152号線)に走ってみましたので、信南交通の路線バスの中でも特にローカル色の濃い部分を何回かに分けて紹介してみたいと思います。
本音を言えば、この路線バス(この“遠山郷・和田線”は、純粋な信南交通の路線バスではなく、“市民バス”という位置づけになっているようです。)にも乗ってみたかったのですが、本来の目的である用事を足すにはどうしても自動車が必要だったため、今回はバス路線のトレースのみの紹介です。

まずは、起点の「平岡」停留所から…
飯田線の平岡駅前にあるにもかかわらず、停留所の名前は信南交通・村営バスともに単に「平岡」です。
平岡とは、昭和31年9月に平岡村と神原村が合併して天龍村となった際の旧村名が、そのまま集落の名前として残っているものです。
平岡駅は、村営の温泉宿泊施設を併設した駅で、列車から降りるとすぐに宿泊・入浴・飲食ができる便利な駅です。



(JR飯田線平岡駅に併設されている天龍村の村営施設。飲食・温泉・宿泊と3拍子揃っています!?)



(平岡駅改札のあるフロアから駅前を望む。右を通る道路は国道418号線。)



(信南交通のバス停看板)



(村営バスの看板。これ以上無いくらいシンプルなデザイン(^^;;; 村営バスは、駅と村営の温泉施設を結んでいる。)



この駅にやってくる信南交通の路線バスは一日1回(しかも平日のみ)、他に4便(土休日は3便)の運行がありますが、すべて“乗合タクシー”です。
その路線バスがこちら。現地に宿泊したからこそ、姿を拝むことができたわけです(^^;




上町発→平岡行き始発バス兼終バスです(^^;;;
このバスがそのまま折返し平岡発→和田行き始発バス兼終バスになります(^^;;;;;
車両は、意外にも(失礼)比較的新しい日野の小型車“リエッセ”でした。もっと年季の入った車両が来ることを期待したのですが、そのような車両は既に残っていないようです。が、この路線の乗車見込人員からすると、適切な車両選択でしょう。




この日、平岡まで乗ってきたのは、ご高齢の女性が数名だけでした。折り返しのバスに乗車したのも、1人か2人、それもやはりご高齢の方でした。
(もっとも、沿線に学校等があるわけでも無いですし、通学時間帯には馴染まないダイヤのため、そのような利用は見込めないのでしょう。)




ほんの数分でバスは折り返していきました。



以下、(不定期に(^^;)つづく。


< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
プロフィール
ホリデー横浜
ホリデー横浜
《こちらにお越しの皆さまにお願い》

この日記は、個人的な趣味で書いているものです。
記事の内容について、(取り分け趣味的な目的で)直接事業者等へお問い合わせされることは、先方の迷惑になる恐れがありますので、ご遠慮くださるようお願いいたします。

また、記事の内容は、自らが収集した情報等に基づき、飽くまでも主観的に記述しているもので、事実と異なる場合もございます。その結果、この日記をご覧の方が不利益を被った場合でも、当方では一切の責任を負いかねますので、ご了承くださいませ。
(※ バスや鉄道の路線や時刻等を案内することを目的とするサイトではございません。
また、事業者等への意見や要望、苦情等(≠個人的な意見・感想)を記すことを本意とするものでもございませんので、そのことに関するコメントや議論には、このブログの内外を問わず、当方は一切関与いたしません。)
過去記事
カテゴリ
FDA (3)
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 38人
オーナーへメッセージ
QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8