八戸到着直後、列車の到着を知らせるアナウンスが流れました。ちょうどその時は、階段を上がり、橋上の改札階にいたのですが、それを聞いて再びホームに降りると、真新しい電気機関車EF510型500番台の牽引する試運転列車が到着したところでした。


▲ この7月から、カシオペア、そして北斗星の牽引に就くようになったEF510型500番台。青い塗装は北斗星用。ブルートレイン向けの機関車の新造は、国鉄時代のEF65型1000番台PF機以来だとか!?



▲ 「北斗星」牽引に合わせたのか、側面に大きく描かれた流れ星。



▲ 金帯の24系との相性もバッチリです!


この日、試運転をしていたのは503号機で、青森方からやってきて、上野方に向かって走っていきました。
編成は、EF510-503+オハネフ24 10+オハネ25 147+オハネ24 7+オハネ25 210+オハネフ24 19でした。



▲ 試運転列車だからか、オハネフの車掌室側でない側に反射板を付けただけの姿で走っていきました。


この後、「はやて」に乗るための指定券を買おうとみどりの窓口へ行ったのですが、自分がとんでもない思い込みをしていたことを思い知らされるのでした(^^;

(気が向いたらつづく、ということで(^^;;;)



急行「はまなす」で青森についた後、八戸まで南下し、新幹線を乗り継いで長野へ帰ることにしました。
八戸行きの特急「つがる2号」が、13分の接続時間で発車するのですが、慌しい乗り換えはしたくなかったので1本見送ることに。次の644発の「つがる6号」に狙いをつけていたところ、ホームに蟹田からの始発の普通列車が到着しました。アナウンスを聞いていたところ、この列車がそのまま八戸行きの普通列車になるとのこと。入ってきた車両を見ると、キハ40系です! 時刻表を見ると、確かに青森610発→八戸816着の普通列車は、列車番号が1524Dと気動車列車を示す“D”が付いており、かつ八戸までの普通列車で気動車によって運行されるのは、この列車のみのようです。それならば!とこの列車に乗ることに決定し、八戸までのんびり行くことにしました。



▲ 青森駅に入線した蟹田発青森行き改め、青森発八戸行き普通列車。塗装はいわゆる“盛岡色”ながら、車体・車内は非冷房な点まで国鉄時代のままです(^^;


種を明かすとこの列車、津軽線で使用する車両(キハ40系)が八戸運輸区に所属しており、毎日車両の送り込みとその返しが必要なため、八戸〜青森間に1往復だけ運転されているのです。下りは夜間の運転かと思ったら、同じ朝の運転(1525D:八戸635発→青森843着)で、乙供〜千曳付近で両者はすれ違います。



▲ 今や貴重なサボによる行き先表示。長い板に「八  戸」の2文字のみ。


蟹田からの普通列車から、行先のサボを取り替えると八戸行きの普通列車に早変わりです。車内には、各車両とも10人前後のお客さんが乗っている程度で、ゆったりと1ボックスを使って寛げます。列車は次の4両編成でした。

  ↑ 八戸
  1. キハ40 592[盛ハヘ]
  2. キハ40 565[盛ハヘ]
  3. キハ48 539[盛ハヘ]↑
  4. キハ40 589[盛ハヘ]
 (※ 号車番号は、便宜上振ったものです。)

青森を発車すると、電車ほどではないにしても本線のしっかりした軌道の上を滑るように走ります。青森〜八戸間の比較で、電車の1.2倍ほどの所要時間がかかりますが、なかなかの走りです。

途中、野辺地では後続の特急「つがる6号」を退避します。停車時間を利用して、野辺地駅の写真を撮影、たしかJRのホームの向こうには南部縦貫鉄道のホームがあったはず…ですが、鉄道の休止〜廃止後、撤去されてしまったようで、跨線橋もJRのホームまでで途切れてしまっています。



▲ 途中の野辺地で、後続の特急「つがる6号」に道を譲ります。



▲ JRのホームの向こうにあった南部縦貫鉄道のホームは…



▲ 先頭側の車両は、盛岡色の中でも通称“赤鬼”と呼ばれる塗装です。


野辺地での小休止の後も、快調に走ります。通勤・通学時間帯にかかってくると、車内が混むだろうと思っていたのですが、土曜日なせいか終始空いた車内のままでした。



▲ 目に眩しい緑の中を進みます。非冷房車のため、開けた窓から入ってくる風が心地よいです。


青森から2時間ちょっとで八戸に到着です。全区間架線の下を走る気動車列車の旅が終わりました。




いよいよ今夏、中央線から201系電車が姿を消すそうです。
現在2本残っている編成のうち、H4編成を使用して運転されている“さよなら列車”も、今週末の松本行きの運転で最後です。松本まで乗客を乗せてきた後は、東京へ帰ることなく長野まで回送され、廃車の運命が待っています。
一時期、中央線沿線に住んでいたため、201系には愛着があるのですが、あいにく今週末は別の予定があるため、このさよなら列車を見に行くことができません。

過去に撮影した画像を探したところ、このH4編成を含めて現役最後の2編成のものがありました。
これは、昨年秋に用事があって久しぶりに中央線沿線へ出かけた際に、運良く現在残る201系の2編成ともに出会うことができた時のものです。



▲ 立川駅で遭遇したH4編成。中央特快の電照幕もいいアクセントになっています。



▲ 同じく立川駅で、今度は夜にH7編成と遭遇。


201系は、試作車の登場以来30年以上が経過し、長いこと中央線の看板的存在でしたが、2006年暮れに登場した後継のE233系に瞬く間に主役の座を奪われてしまいました。これで“国電”の面影を残す鋼製の電車は、京葉線に僅かに残る同じ201系ということになります。
また、モハ90系(101系)に始まった国電のカラー化は、この201系の消滅をもって、役目を終えるといっても良いのではないでしょうか。大判時刻表の巻末に載っていた首都圏の国電各線の案内の「あか色の電車」「き色の電車」「みどり色の電車」「みず色の電車」「あお色の電車」(…であっていましたっけ?)の表記も懐かしい話ですね。


(おまけ)
ちょうど中央線の新宿~八王子間の開業120周年の年だとかで、E233系の何本かには記念のヘッドマークが取り付けられていました。



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