2012/06/19
【長野電鉄】 「鯨電車で行くノンビリ電車旅」(その8)
最後の方へきてなぜか勢いづいたこの記事。今日で3日連続は新記録か!?-というワケで、写真を選んでいるとアレもコレも…となってダラダラ続き、結局8回目突入です。
須坂車庫の長野方の建屋の向こう、一番南側へと案内されたツアー参加者一行には、オー6編成、ED5001、D編成の並びの撮影会が待っていました。この組み合わせで撮れるのも、もうこれが最後かも…!?
▲ 3500系N7編成使用、須坂1424発の216列車が軽快に勾配を下っていきます。信州中野~湯田中間の各駅停車用の3500系が2運用となる夕方以降のための送り込み運用で、216列車~539列車~321列車へとつながるようです。
車内のお客さんがこちらに気づくと、「なんでこんなところに人だかりが!?」ってな眼で見ていくのが分かります(^^; それがまた快感というか…(^^;;;
▲ オー6編成にはオー2編成から持ってきた前面幕を掲出、実際の営業時にはなかった組合せが実現し、D編成は翼型の「特急」マークに変わりました。過去の経験から(!? ←別のマークで“5-56”のお世話になったこともありました(^^;)、ステーにあまり深く押し込まずにそっと乗せただけの位置で撮影です。
当然幕回しも頻繁に行なわれました(^^; この時は、オー6編成が「(ワンマン)松代」、D編成が「特急 屋 代」になっています。
▲ 続いてオー6編成が「(ワンマン)屋代」に、D編成のヘッドマークが3月25日の団体列車等で使われた「惜別」マークに変わりました。
▲ 数あるD編成のさよならマークの中でも、このマークは私のお気に入りです(^^)
▲ そしてお馴染み“パタパタ”の登場です(^^) オー6編成は「(ワンマン)須坂」、D編成は「のざわ」のマークに「特急 木 島」を表示しています。
▲ 続いてオー6編成が「(ワンマン)信濃川田」に、D編成がヘッドマーク、方向幕ともに「各駅停車(普通) 朝陽」になりました。
▲ 再び「惜別」マークに戻って、幕回し中に「小布施」表示をゲット!
そして撮影会もいよいよ大詰め、最後にリクエストは-と尋ねられ、総会一致で定番中の定番、「鹿ピョン」マークが登場です。やはり、2000系の象徴そのものを表わすヘッドマークですね(^^)
▲ D編成は「鹿ピョン」に衣替え、そしてオー6編成はなぜか「さよなら屋代線」マークのまま「(ワンマン)木島」表示に(^^;
▲ 「特急 湯田中」表示に「鹿ピョン」マーク。2000系の正装と言っても過言ではないかも…!? ちなみにこの「鹿ピョン」は、現役時代にはモハ2007号車についていたものですね。
▲ 「(ワンマン)木島」表示に「さよなら屋代線」幕。ミョーな取り合わせも撮影会ならでは?
名残惜しくはあるのですが、ここで時間だよということで、終了です。再びタイムトンネルのような車庫の建屋を通り…
▲ まだあったサプライズ! 「日吉」表示の3000系、東横線に近かった者としては懐かしいことこの上ない表示です(^^)
…元の世界(!?)へ戻ると、まだまだ遊び心満載の車両たちが見送ってくれました。
▲ 「特急 回 送」に日捲りの「信濃川田」表示!? これが意味するものは…???
▲ 「よませ」の駅長バージョンマークは、T6編成に付いていました。
そして構外へ出て、跨線橋を渡りながらふと下を見ると、お片付けの真っ最中でした。
▲ 半日お世話になったオー2編成が眼下にあり、オー6編成は元の留置線8番線への移動が始まったようです。
▲ オー6編成も所定の(?)位置で再び永い眠りに。朝との違い、分かりますか?
楽しかったイベントもここまで。あとは1時間ほど駅の待合室などで時間を潰し、子どもにせがまれて14A列車のスノーモンキーで帰途に就きました。
一日、お会いした皆さん、楽しいイベントを提供してくださったスタッフの皆さん、臨時列車の運転や現場での作業をしてくださった長野電鉄の皆さん、そして、素敵な演奏を披露してくださったミュージシャンの皆さん、
本当にありがとうございましたm(__)m
またこのような機会があることを、楽しみにしています(^^)
(※ 毎度のお断りですが、須坂車庫構内での撮影は、ツアー参加者に対し特別な許可をいただいたもので、すべて長野電鉄社員の立会いの下、立ち入りが認められた場所から撮影させていただいたものです。)
須坂車庫の長野方の建屋の向こう、一番南側へと案内されたツアー参加者一行には、オー6編成、ED5001、D編成の並びの撮影会が待っていました。この組み合わせで撮れるのも、もうこれが最後かも…!?
▲ 3500系N7編成使用、須坂1424発の216列車が軽快に勾配を下っていきます。信州中野~湯田中間の各駅停車用の3500系が2運用となる夕方以降のための送り込み運用で、216列車~539列車~321列車へとつながるようです。
車内のお客さんがこちらに気づくと、「なんでこんなところに人だかりが!?」ってな眼で見ていくのが分かります(^^; それがまた快感というか…(^^;;;
▲ オー6編成にはオー2編成から持ってきた前面幕を掲出、実際の営業時にはなかった組合せが実現し、D編成は翼型の「特急」マークに変わりました。過去の経験から(!? ←別のマークで“5-56”のお世話になったこともありました(^^;)、ステーにあまり深く押し込まずにそっと乗せただけの位置で撮影です。
当然幕回しも頻繁に行なわれました(^^; この時は、オー6編成が「(ワンマン)松代」、D編成が「特急 屋 代」になっています。
▲ 続いてオー6編成が「(ワンマン)屋代」に、D編成のヘッドマークが3月25日の団体列車等で使われた「惜別」マークに変わりました。
▲ 数あるD編成のさよならマークの中でも、このマークは私のお気に入りです(^^)
▲ そしてお馴染み“パタパタ”の登場です(^^) オー6編成は「(ワンマン)須坂」、D編成は「のざわ」のマークに「特急 木 島」を表示しています。
▲ 続いてオー6編成が「(ワンマン)信濃川田」に、D編成がヘッドマーク、方向幕ともに「各駅停車(普通) 朝陽」になりました。
▲ 再び「惜別」マークに戻って、幕回し中に「小布施」表示をゲット!
そして撮影会もいよいよ大詰め、最後にリクエストは-と尋ねられ、総会一致で定番中の定番、「鹿ピョン」マークが登場です。やはり、2000系の象徴そのものを表わすヘッドマークですね(^^)
▲ D編成は「鹿ピョン」に衣替え、そしてオー6編成はなぜか「さよなら屋代線」マークのまま「(ワンマン)木島」表示に(^^;
▲ 「特急 湯田中」表示に「鹿ピョン」マーク。2000系の正装と言っても過言ではないかも…!? ちなみにこの「鹿ピョン」は、現役時代にはモハ2007号車についていたものですね。
▲ 「(ワンマン)木島」表示に「さよなら屋代線」幕。ミョーな取り合わせも撮影会ならでは?
名残惜しくはあるのですが、ここで時間だよということで、終了です。再びタイムトンネルのような車庫の建屋を通り…
▲ まだあったサプライズ! 「日吉」表示の3000系、東横線に近かった者としては懐かしいことこの上ない表示です(^^)
…元の世界(!?)へ戻ると、まだまだ遊び心満載の車両たちが見送ってくれました。
▲ 「特急 回 送」に日捲りの「信濃川田」表示!? これが意味するものは…???
▲ 「よませ」の駅長バージョンマークは、T6編成に付いていました。
そして構外へ出て、跨線橋を渡りながらふと下を見ると、お片付けの真っ最中でした。
▲ 半日お世話になったオー2編成が眼下にあり、オー6編成は元の留置線8番線への移動が始まったようです。
▲ オー6編成も所定の(?)位置で再び永い眠りに。朝との違い、分かりますか?
楽しかったイベントもここまで。あとは1時間ほど駅の待合室などで時間を潰し、子どもにせがまれて14A列車のスノーモンキーで帰途に就きました。
一日、お会いした皆さん、楽しいイベントを提供してくださったスタッフの皆さん、臨時列車の運転や現場での作業をしてくださった長野電鉄の皆さん、そして、素敵な演奏を披露してくださったミュージシャンの皆さん、
本当にありがとうございましたm(__)m
またこのような機会があることを、楽しみにしています(^^)
(※ 毎度のお断りですが、須坂車庫構内での撮影は、ツアー参加者に対し特別な許可をいただいたもので、すべて長野電鉄社員の立会いの下、立ち入りが認められた場所から撮影させていただいたものです。)
この記事へのコメント
ホリディー横浜さんコンバンワです。長きに渡り8回もの特集お疲れ様でした。いつコメントを入れようかと思っていたら、最終回まで来てしまいました。なんだかこれで楽しみが一つ無くなってしまいましたね。木島線が残っていた10年以上前に、この様なイベントが活発であれば、もっともっと楽しみがあっただろうと想像がやみません。強いていえば国鉄乗り入れ時代なら、「湯田中発全国行き」のイベントも出来たのですね。(2000系ではちょっと無理かな)
でも、蒸気機関車の復活があるのだから、2000系をしなの鉄道で・・・、いややはり長野電鉄線路で走っての2000系かなぁ・・・・(甲種?だったけ貨物の手も)
Posted by kintakute at 2012年06月20日 00:53
>> kintakuteさん
こんにちは(^^)/ コメントをいただきまして、ありがとうございます。
長々と引っ張ってしまいましたが、最後までお付き合いくださり、重ねてお礼申し上げます。
木島線が残っていた頃は、中信地区にに住んでいたこともあり、今ほど長野電鉄に嵌り込んでいたわけではないのですが、確かに今のノリでイベントをやっていてくれたら楽しいだろうなぁと思わずにはいられません。
河東線を中心に、山ノ内線と長野線を「X」の字状に運転するイベント列車なんかも走ったでしょうし、屋代駅の国鉄(JR)との連絡線が健在だったら、信越線との直通運転で列車を走らせることができたのに…と思うと、それらが無くなってしまったのはやはり残念なことですよね。
今は本線(長野線)一本だけになってしまい、撮影会ができそうな駅も須坂に小布施、信州中野くらいになってしまいましたが、残ったものを最大限に活用して、また魅力あるイベントが行われることを期待したいものですね。
Posted by ホリデー横浜 at 2012年06月20日 09:51
こんばんは~
早いもので団臨からちょうど1ヶ月が経ちましたね。
つい昨日のことのように当日の事を今も思い出している日々です。
団臨車内でエセ車掌として飛ばし過ぎ、撮影会時はぐったりしていて、
あまり写真も撮れず改めて皆様の記事を拝見し楽しませていただきました。
予想していた以上に盛り上がり、皆様満足されたようでホッとしています。
パウチも綺麗に保管していますので、また日の目を見る機会があるといいなと思っています。
2弾、3弾と続く際もどうぞよろしくお願いします!?笑
Posted by まつ at 2012年06月20日 22:40
>> まつさん
こんばんは(^^)/ コメントをありがとうございます。
先日のツアー・イベントでは大変お世話になりましたm(__)m
あれから早いもので、1か月が経ってしまいましたが、ゆっくりと噛みしめるように長編記事にまとめたつもり(!?)です。
(闇雲に近い勢いでシャッターを切りまくったため、画像が多すぎで選びきれず、加えて書く“ずく”が無かっただけなんですけどね…(^^;)
ご参加された方のそれぞれの視点でのブログやHP等の記事を拝見すれば、自身が見ていなかった場面や光景を知ることができ、また新たな楽しみも増しますよね。
またあのパウチが日の目を見ることを楽しみにしています!
(長電を離れてしまいますが、)もう少し版を大きくして、あさま色の189系に組み込んでみるのも面白いのでは!?
もしも、S57.11以降も信越線から長野電鉄に直通する列車の運転が続いていたら-的な企画で、169系が引退し、「志賀」が特急格上げ189系化されたとしたら、「シュプール信濃竹原」なんていう列車も冬臨で走ったかも-なんて考えるとゾクゾクしますね(^^;
まぁ、冗談はさておき、第2弾、第3弾と続くのを期待しています!
(期待するだけではなく、直接手を出せとお声がかかりそうな…(^^;;;)
Posted by ホリデー横浜 at 2012年06月22日 01:54