2010/07/19
【JRバス関東】 「ドリーム志賀号」
今日は北海道ネタは一時お休みです。
湯さんトコのブログの7月15日の記事「長野―新宿線に夜行便新設!!」のコメントで、かつてJRバス関東と長野電鉄バスが運行していた夜行バス「ドリーム志賀号」の話題が出ましたが、過去に撮影した写真の山から、「ドリーム志賀号」のプリントだけ発掘できました。デジタイズしたものがなく、プリントを再撮影したものですので、画像の精度はかなり落ちますが、雰囲気だけでもお伝えできればと思い、その画像を交えてこちらでも記事を起こしてみました。内容が重複する部分がありますが、ご容赦ください。
▲ 「ドリーム志賀号」(下り・1号)に乗車した際、湯田中駅で下車後に撮影したものです。撮影日は、1995(平成7)年7月16日とありますので、前日7月15日の晩に東京駅から乗車したことになります。
使用車両はいわゆる“パンダエアロ”(P-MS729SA)で、東京支店所属(当時)の社番S654-88489号車(足立22か37-54)です。方向幕には、種別も何もなく、ただ単に「長野・湯田中」と表記されているあたりが何とも…です(^^; 車体側面に、斜体字で「高速バス」と書かれているのも、今となっては古めかしい仕様に思えます。ちなみにこの車両、2002(平成14)年4月現在の配置表では宇都宮支店に籍があります(宇都宮200か・166)。
以下は、湯さんトコのブログへのコメントと重複しますが、「ドリーム志賀号」の案内リーフレットの情報を丸写し(+補足)したものです。
【ドリーム志賀号】
○ 運行区間
東京駅(八重洲南口)~新宿駅(新南口)~長野駅前~湯田中駅
(※ 中央道~長野道~豊科インター~国道19号経由)
○ 運行開始日
平成4年(1992年)4月27日
(※ 廃止は、平成11年(1999年)3月31日らしいです。廃止理由は、新幹線の開業で利用客の流れが変わったためとする説があります。)
○ キロ程
332.6キロ
○ 運行バス会社
JRバス関東、長野電鉄(←長電バスではないところに注目です!)
○ 所要時間
(下り)7時間40分 (上り)8時間25分
○ 運行時刻・停留所
(1号)東京駅23:30→新宿駅23:59→長野駅前6:04→権堂6:12→須坂駅6:31→小布施6:41→中野駅6:55→湯田中駅7:10
(2号)湯田中駅21:45→中野駅22:01→小布施22:16→須坂駅22:27→権堂22:47→長野駅前23:00→新宿駅5:29→東京駅6:10
(なぜか、長野駅だけ“駅前”になっています(^^; 1号、2号という呼び方を使用しているのは、マルスに登録する関係でしょうか。長野県内の停留所は、湯田中~京都・大阪線とほぼ同一ですが、中野だけ異なっており、信州中野駅前まで乗り入れていたようです。)
○ 運賃
東京駅・新宿駅-長野駅前・権堂 5,400円(こども 2,700円)
東京駅・新宿駅-須坂駅・小布施 5,600円(こども 2,800円)
東京駅・新宿駅-中野駅・湯田中駅 5,800円(こども 2,900円)
(団体割引なし)
○ 往復割引(10日間有効)
東京駅・新宿駅-長野駅前・権堂 9,700円
東京駅・新宿駅-須坂駅・小布施 10,100円
東京駅・新宿駅-中野駅・湯田中駅 10,400円
○ 使用車両・座席数
スーパーハイデッカー36席(4列)
○ 前売り日
乗車日の1箇月1日前から 座席指定制
○ お問合せは
(略)
○ 乗車券引取期限
-
○ 発売箇所
JRバス東京駅・新宿駅、長野電鉄バス各営業所、長電観光・ミスズ観光の各支店、JTB・日本旅行・近畿日本ツーリストほか主な旅行代理店、駅のみどりの窓口・旅行センター(片道)
○ 車内設備・サービス
デラックスリクライニングシート(レッグレスト、フットレスト)・読書等・VTR・4chステレオ・電話・空調装置・化粧室・ひざかけ毛布・スリッパ・おしぼり・コーヒー、お茶のサービス(セルフ)
JRバス関東の車両は、日中は長野電鉄バスの中野営業所で休憩していたとのことですが、その証拠写真も見つけました。
…とはいっても、長野電鉄バスを撮影しに、中野営業所にお邪魔した時のものなのですが、撮影目的が長野電鉄バスだったもので、JRバスには目もくれなかったことが、今となっては悔やまれます(^^;
▲ 長野電鉄バスに混じって、中野営業所で休むJRバス関東の車両(右端にチョッとだけ(^^;;;)。長野電鉄バスのカラーも、まだ貸切車が銀色になる前の時代です。
(※ 1995年8月27日、許可をいただいて撮影させていただいたものです。1935号車の方は、現在銀色塗装化されて今も健在です。)
この頃長野電鉄バスに在籍していた高速用車両は、恐らく全てパンダエアロだったと思われますので、「ドリーム志賀号」にもこの車両(と同じタイプの車両)が使われていたものと思われます。
▲ 長野電鉄バスのパンダエアロ、1754号車。4列36人乗りということで、この車と同タイプの車両が、「ドリーム志賀号」に使われていたものと思われます。それにしても、真正面から見たら、パンダじゃなくて“赤鬼”みたいですね(^^;;;
(※ 1995年5月7日、長野電鉄バス本社(柳原)で許可をいただいて撮影させていただいたものです。)
※ 今回紹介した「ドリーム志賀号」は、既に廃止されている過去の高速バスであり、現在は運行されていません。
湯さんトコのブログの7月15日の記事「長野―新宿線に夜行便新設!!」のコメントで、かつてJRバス関東と長野電鉄バスが運行していた夜行バス「ドリーム志賀号」の話題が出ましたが、過去に撮影した写真の山から、「ドリーム志賀号」のプリントだけ発掘できました。デジタイズしたものがなく、プリントを再撮影したものですので、画像の精度はかなり落ちますが、雰囲気だけでもお伝えできればと思い、その画像を交えてこちらでも記事を起こしてみました。内容が重複する部分がありますが、ご容赦ください。
▲ 「ドリーム志賀号」(下り・1号)に乗車した際、湯田中駅で下車後に撮影したものです。撮影日は、1995(平成7)年7月16日とありますので、前日7月15日の晩に東京駅から乗車したことになります。
使用車両はいわゆる“パンダエアロ”(P-MS729SA)で、東京支店所属(当時)の社番S654-88489号車(足立22か37-54)です。方向幕には、種別も何もなく、ただ単に「長野・湯田中」と表記されているあたりが何とも…です(^^; 車体側面に、斜体字で「高速バス」と書かれているのも、今となっては古めかしい仕様に思えます。ちなみにこの車両、2002(平成14)年4月現在の配置表では宇都宮支店に籍があります(宇都宮200か・166)。
以下は、湯さんトコのブログへのコメントと重複しますが、「ドリーム志賀号」の案内リーフレットの情報を丸写し(+補足)したものです。
【ドリーム志賀号】
○ 運行区間
東京駅(八重洲南口)~新宿駅(新南口)~長野駅前~湯田中駅
(※ 中央道~長野道~豊科インター~国道19号経由)
○ 運行開始日
平成4年(1992年)4月27日
(※ 廃止は、平成11年(1999年)3月31日らしいです。廃止理由は、新幹線の開業で利用客の流れが変わったためとする説があります。)
○ キロ程
332.6キロ
○ 運行バス会社
JRバス関東、長野電鉄(←長電バスではないところに注目です!)
○ 所要時間
(下り)7時間40分 (上り)8時間25分
○ 運行時刻・停留所
(1号)東京駅23:30→新宿駅23:59→長野駅前6:04→権堂6:12→須坂駅6:31→小布施6:41→中野駅6:55→湯田中駅7:10
(2号)湯田中駅21:45→中野駅22:01→小布施22:16→須坂駅22:27→権堂22:47→長野駅前23:00→新宿駅5:29→東京駅6:10
(なぜか、長野駅だけ“駅前”になっています(^^; 1号、2号という呼び方を使用しているのは、マルスに登録する関係でしょうか。長野県内の停留所は、湯田中~京都・大阪線とほぼ同一ですが、中野だけ異なっており、信州中野駅前まで乗り入れていたようです。)
○ 運賃
東京駅・新宿駅-長野駅前・権堂 5,400円(こども 2,700円)
東京駅・新宿駅-須坂駅・小布施 5,600円(こども 2,800円)
東京駅・新宿駅-中野駅・湯田中駅 5,800円(こども 2,900円)
(団体割引なし)
○ 往復割引(10日間有効)
東京駅・新宿駅-長野駅前・権堂 9,700円
東京駅・新宿駅-須坂駅・小布施 10,100円
東京駅・新宿駅-中野駅・湯田中駅 10,400円
○ 使用車両・座席数
スーパーハイデッカー36席(4列)
○ 前売り日
乗車日の1箇月1日前から 座席指定制
○ お問合せは
(略)
○ 乗車券引取期限
-
○ 発売箇所
JRバス東京駅・新宿駅、長野電鉄バス各営業所、長電観光・ミスズ観光の各支店、JTB・日本旅行・近畿日本ツーリストほか主な旅行代理店、駅のみどりの窓口・旅行センター(片道)
○ 車内設備・サービス
デラックスリクライニングシート(レッグレスト、フットレスト)・読書等・VTR・4chステレオ・電話・空調装置・化粧室・ひざかけ毛布・スリッパ・おしぼり・コーヒー、お茶のサービス(セルフ)
JRバス関東の車両は、日中は長野電鉄バスの中野営業所で休憩していたとのことですが、その証拠写真も見つけました。
…とはいっても、長野電鉄バスを撮影しに、中野営業所にお邪魔した時のものなのですが、撮影目的が長野電鉄バスだったもので、JRバスには目もくれなかったことが、今となっては悔やまれます(^^;
▲ 長野電鉄バスに混じって、中野営業所で休むJRバス関東の車両(右端にチョッとだけ(^^;;;)。長野電鉄バスのカラーも、まだ貸切車が銀色になる前の時代です。
(※ 1995年8月27日、許可をいただいて撮影させていただいたものです。1935号車の方は、現在銀色塗装化されて今も健在です。)
この頃長野電鉄バスに在籍していた高速用車両は、恐らく全てパンダエアロだったと思われますので、「ドリーム志賀号」にもこの車両(と同じタイプの車両)が使われていたものと思われます。
▲ 長野電鉄バスのパンダエアロ、1754号車。4列36人乗りということで、この車と同タイプの車両が、「ドリーム志賀号」に使われていたものと思われます。それにしても、真正面から見たら、パンダじゃなくて“赤鬼”みたいですね(^^;;;
(※ 1995年5月7日、長野電鉄バス本社(柳原)で許可をいただいて撮影させていただいたものです。)
※ 今回紹介した「ドリーム志賀号」は、既に廃止されている過去の高速バスであり、現在は運行されていません。
この記事へのコメント
いや~、JRバスのパンダエアロ懐かしいですね~w
しかもご乗車だったんですね!
長電特急色のパンダエアロもカッコいいですね♪
ま、まさに赤鬼色に見えてしまいますが・・・・(笑
後ろに見え隠れする車両たちも懐かしくてたまりませんねぇww
Posted by 湯 at 2010年07月19日 18:16
こんにちは。
ホリデーさんの記事を見て私も当時のパンフを引っ張り出してきました(笑)
同じものかどうか分かりませんが、表面は黄色地に下半分に新宿都庁・2匹のサルが毛づくろいをしている(地獄谷をイメージ)でした。裏面を見ると座席図・料金・時刻・乗り場案内が書かれ、下部には運行会社名と車両イメージが出ています。JRバス関東は社番(称号)が国鉄時代3桁-4桁のパンダが、長電も同じくパンダが印刷されていました。長電パンダはホリデーさんが撮影された1754号車でした。
Posted by kara-yan at 2010年07月19日 18:24
こんばんわ。
初めてコメントさせていただきます。
最近、過去撮影のスライドを見返していたところ、
ちょうど長電1754号車の写真が出て来ました。
撮影日・場所が1998年2月22日(長野オリンピック最終日)
昼の長野駅周辺ですが、前面方向幕が長野・志賀高原と
なっています。ただ、前面窓下に、”急行 蓮池”と手書きの
サボがあるので、ドリーム志賀号の間合いでオリンピックの
観客輸送に狩り出されたのでは無いかと推測します。
この当時は長電バスになっている様で、前面窓下の
"長野電鉄"の表記が"NAGADEN"になってます。
画像はこちらで上げておきます。スライドをフィルム
スキャナで読んでいるので、画質はあまり良くないですが。
では、失礼いたします。
Posted by きたち at 2010年07月20日 00:12
>> 湯さん
こんばんは(^^)/
コメントをありがとうございます。
今となっては全てが懐かしい世界ですね。
中野の営業所、特急色の貸切車、そしてJRの高速バス…
欲を言えば、中野営業所でJRバスにもカメラを向けておけば…orz
>> kara-yanさん
こんばんは(^^)/
コメントをありがとうございます。
パンフレットもあったのですね。しかも両社ともパンダとは、時代を感じさせる物ですね。
私が持っているのは、システム手帳サイズのリーフレットで、たまたま以前使っていたシステム手帳に綴じたままになっていたのを発見した次第です。
片面に上記の案内、その裏面に各停留所付近の地図が記載されています。
JRバスの東京駅でもらったような記憶があるのと、隅に○20(20は○の中)という記号があるので、JRバスが各路線別に作成していたものかもしれません。
(東京駅のパンフレット立てに、ずらりと並んでいたような??)
>> きたちさん
こんばんは(^^)/ はじめまして。
コメントをいただき、ありがとうございます。
早速、きたちさんのブログを拝見いたしました。
貴重な画像をご紹介くださいまして、ありがとうございます。
高速車が間合い運用なんて、オリンピックの時ならではのハプニングでしょうか。
方向幕の「長野・志賀高原」ですが、JRのように“湯田中”と書かないあたりが長電らしくていいなと思ったりしながら、もう一つの可能性として現在の湯田中~大阪線が運行される前に、一時期同路線があったのを思い出しまして、これが志賀高原のどこか(蓮池辺り??)を始終着としていたような気がします。
どの路線も4列シート車を使用していたなら、大阪線にもこの車が入っていた可能性もあるなと思いまして…
また遊びにいらしてください。
今後ともどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
Posted by ホリデー横浜 at 2010年07月20日 01:50
おはようございます。たびたび失礼します(汗)
ルーズリーフ状のパンフ・・・懐かしいですね!
私は専用に1冊持っていました(笑)確かJRバス関東でファイルを売っていた記憶があります。そのうちダイヤ改正などで増刷が間に合わなくなり廃止されました。しかし、東京駅では当時のパンフ入れは現在もポケット時刻表を入れ今も使われています。
ちょうどこの頃は高速バスが次々と登場した時期でしたね。
JR系・私鉄系とダブルトラックが当たり前のようになり、運行会社や愛称を確認しないと乗り場も分からなくなる状況でした。
Posted by kara-yan at 2010年07月20日 07:02
たびたび失礼いたします。
こちらのブログの方にもコメントを頂きまして、ありがとうございました。
あの日はオリンピック最終日の長野の街の様子や善光寺境内に建て
られたCBSのスタジオなんかを見に行ったときの1枚です。取り敢えず
目に付いたバスや街の様子を撮っていました。当時はデジカメを持って
おらず、更にポジフィルムだったので、絶対量は多くはないのですが。
当時の長野-大阪線ですが、資料を実家に置いてあるので、記憶が
若干曖昧ですが、長電・南海は3列29人乗りで志賀高原まで入り、
川中島・阪急は3・4列折衷の31人乗りで長野までだったような記憶が
あります。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
では、失礼いたします。
Posted by きたち at 2010年07月21日 00:20
>> kara-yanさん
こんばんは(^^)/
コメントをありがとうございます。
ドリーム号のリーフレット、綴じるファイルまで用意があったのですね!
ぜひ集めてみたかったです(^^;
確かに、1枚ずつ差替えできるのは便利ですが、在庫管理や改正の都度の現行化が大変そうですね。
平成1ケタ代の頃は、長野県でも高速道が延伸開通するたびに高速バスが設定され、賑やかな頃でしたね。長野~諏訪線や長野~上越線なども懐かしいです。
>> きたちさん
こんばんは(^^)/
コメントをありがとうございます。
長野~大阪線はやはり志賀高原に乗り入れていましたか。3列シート車が入っていたとは驚きです(@_@;
オリンピックの頃は何処へ行ってもバスもお祭り状態でしたが、カメラは私もフィルムのみでしたので、今ほどパシャパシャ撮れませんでした。これがデジカメだったらと考えると、オソロシイです(^^;
Posted by ホリデー横浜 at 2010年07月22日 03:01