2010/06/05
【松本電鉄】 懐かしの“赤バス”
いよいよ今日、この後開催される「アルピコバスまつり2010」。そこで販売される松本電鉄のグッズの一つに、「THEバスコレクション2台セット」がありますが、この2台のうち1台は、かつての赤バスをデザインしたものです。
車両はいすゞのBU10Kという形式で、ボディは北村製作所(新潟県)製、1974(昭和49)年に同時に20台(社番450~469)が松本電鉄に導入されました。
なお、いすゞ+北村のBU10は1974年式だけでなく、私の知る限りでは1972~75年にかけて、仕様の違いこそあれ少なくとも60台以上もの数が導入され、当時の松電の路線バスの“顔”とも呼べる一大勢力を築いた形式です。
過去に撮影した画像を整理してみたところ、今回のバスコレクションのモデルとなった社番460号車(松本22あ・359)を撮ったものが出てきましたので、紹介いたします。



▲ 時代は長野での冬期オリンピックを控えた1996年秋、間もなく終焉を迎えようとしている赤バスの最後の車両数台が、大町営業所に集められていました。引退間際とはいえ、車体の輝きは車齢22年のそれとは思えないほどであり、いかに松電がこの車両を大切に扱っていたかを窺い知ることができます。
(※ 1996(平成8)年10月~11月頃、大町営業所(当時)にて許可をいただいた上で撮影させていただいたものです。)
この当時のバスといえば、前後のタイヤ間の車体に直接広告を描いた“ベタ書き”が流行っていましたが、この車両はそれらの類は一切無く、車体の美しさを余計に引き立たせていました。
いまの“赤バス メモリアル号”の480号車(10480号車)は、この頃のデザインを再現したもののようですが、赤バスにはいくつかの塗装パターンがあったようです。いずれそれらの違いについても、持っている資料の限りで検証(?)してみたいと思います。
(…って、メモリアル号が登場した頃にも考えたことがあったような…(^^;;;)
車両はいすゞのBU10Kという形式で、ボディは北村製作所(新潟県)製、1974(昭和49)年に同時に20台(社番450~469)が松本電鉄に導入されました。
なお、いすゞ+北村のBU10は1974年式だけでなく、私の知る限りでは1972~75年にかけて、仕様の違いこそあれ少なくとも60台以上もの数が導入され、当時の松電の路線バスの“顔”とも呼べる一大勢力を築いた形式です。
過去に撮影した画像を整理してみたところ、今回のバスコレクションのモデルとなった社番460号車(松本22あ・359)を撮ったものが出てきましたので、紹介いたします。



▲ 時代は長野での冬期オリンピックを控えた1996年秋、間もなく終焉を迎えようとしている赤バスの最後の車両数台が、大町営業所に集められていました。引退間際とはいえ、車体の輝きは車齢22年のそれとは思えないほどであり、いかに松電がこの車両を大切に扱っていたかを窺い知ることができます。
(※ 1996(平成8)年10月~11月頃、大町営業所(当時)にて許可をいただいた上で撮影させていただいたものです。)
この当時のバスといえば、前後のタイヤ間の車体に直接広告を描いた“ベタ書き”が流行っていましたが、この車両はそれらの類は一切無く、車体の美しさを余計に引き立たせていました。
いまの“赤バス メモリアル号”の480号車(10480号車)は、この頃のデザインを再現したもののようですが、赤バスにはいくつかの塗装パターンがあったようです。いずれそれらの違いについても、持っている資料の限りで検証(?)してみたいと思います。
(…って、メモリアル号が登場した頃にも考えたことがあったような…(^^;;;)
この記事へのコメント
はじめまして、みすずかるさんの所からリンクをたどってやってきました。
この「赤バス」460号車、とても懐かしいです!
というのも1992~1993年に新島々営業所でアルバイト車掌をしていたときに、よく乗務した車両だからです。
晩年まで、物持ち良く走ってくれましたよね!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by みゃあみゃあ at 2010年06月08日 15:29
>> みゃあみゃあさん
こんばんは(^^)/
コメントをいただきまして、ありがとうございます。
新島々営業所のアルバイト車掌さんをされていたとのこと、羨ましい限りです。
当時はまだHIMR登場前ですし、赤バスも上高地へ上がっていたのですね。
あの頃は松本に住んでいたものの、今ほどバスに熱が入っておらず、鉄道のついでに中途半端に撮った写真を見ながら、もう少し力を入れていれば…とよく後悔しています(^^;
(特に、当時は登場したばかりのアルピコカラーのインパクトに負けて、赤バスにはほとんど見向きもしなかったんですよ… 今からしてみれば、とんでもないミステイクだったと…orz)
またよろしかったら(差し支えない範囲で)当時の思い出などをお話しいただけると嬉しいです。
こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by ホリデー横浜
at 2010年06月09日 00:19