昨日に引き続き、7月20日(水)から8月28日(日)までの予定で運行中の「モンハン特急」の紹介です。
今回は、2100系「スノーモンキー」を使用した「モンハン特急」です。

2100系「スノーモンキー」も、1000系「ゆけむり」同様にイベントのPRやゲームのキャラクターなどのラッピングがラッピングされ、定期の特急列車で運行されています。
なお、撮影はやはり限られた時間の中で取り敢えず行なってきただけ…という感じなので、須坂駅での18B列車及び長野駅で折り返し待ちをしているところで撮っただけです。写りが甘いのはご容赦を…(^^;ゞ



▲ 2100系はE2編成が「モンハン特急」になっています。前面の貫通扉跡には、「ゆけむり」同様に赤地に白で描かれたマークが貼り付けられています。(ひょっとしたら地色の赤は車体色をそのまま使っているのかもしれません。)



▲ 長野方の3号車には、ゲームのキャラクターがラッピングされています。



▲ 中間の2号車には、イベントのPR等がラッピングされています。



▲ 8500系の前掛けと同じデザインの部分を見つけました(^^; 「ユクモノ気分で、狩り・釣り・祭りだ、ドンドコドーン!!」だそうです(^^; 車番まで隠してしまう、大胆な(!?)ラッピングです。



▲ 長野駅の2番線に停車中の「モンハン特急・スノーモンキー」。やはり車体の赤い部分に白で抜いたマークを貼り付けただけかもしれません(^^;;;




7月1日以降、“設備的な理由”でJR区間である篠ノ井~長野間への乗り入れができなくなり、朝夕のライナー等をはじめ全ての運用からいったん退いて屋代及び戸倉の両駅構内に留置されている、しなの鉄道の169系ですが、どうやら復活へ向けた準備が進められているようです。



▲ JR長野駅を出発し、裾花川を渡るしなの鉄道直通の快速「しなのサンセット号」。169系が再び、JRへの乗り入れやしなの鉄道線内での運行に復帰できるのでしょうか!?


しなの鉄道のHPに、このような案内を見つけました。


「「快速しなのサンセット号」
車種変更及び車両数減のお知らせ

 いつもしなのサンセット号をご利用いただき、誠にありがとうございます。
 現在、しなの鉄道では国土交通省の省令に基づき車両改造を行っているため、車両数が不足しています。サンライズ号及びサンセット号のライナーは他社(JR)から車両を借用しており、運用で大変苦慮しているところであります。
 つきましては、夕方のサンセット号(長野駅発18:24 と19:33)については8 月1 日から当分の間、日曜日のサンセット号と同一の3 枚扉の通勤型車両(115系)で運用せざるをえなくなりました。
また現在の特急型車両が6 両のところ3 両編成に減車となります。

 6 月まで使用していました2 枚扉の急行型の車両改造が済むまでのしばらくの間、ご不便をお掛けしますが、何卒ご理解をお願い申し上げます。

平成23 年7 月
しなの鉄道株式会社」
(原文のまま)


この文書のポイントは2つあると思われます。
1つは、夕方の「しなのサンセット号」は、8月1日から当分の間、現在の特急型車両(189系)6両編成から通勤型車両(115系)3両編成で運行されるということ。
(※ 日曜日は、現在も115系3両編成で運行されているようです。)
そしてもう1つは、2枚扉の急行型(169系)は現在、国土交通省令に基づく改造を行なっているということです。

ということは、改造が終わり次第、運用に復帰するということで、また元のとおり走る姿が見られるようになると思っていいのかもしれません!

一時はこのまま呆気なく全廃か!?と思わせてくれたり、先般JRで廃車になった189系「彩野」がしなの鉄道にやってくる!?なんていう憶測が飛び交ったりしましたが、ひとまず元の鞘に戻ってくれるようで、メデタシメデタシというところでしょう(^^)/





▲ しなの鉄道から直通の快速列車、そして「しなのサンセット」号に、169系に代わって使用されるJR189系。かつて特急「あさま」として通い慣れた道を走る姿は、8月1日からは朝のみしか見られなくなります。



▲ 一時はしなの鉄道へ譲渡されるのではないか!?という憶測が流れた189系「彩野」。「部品取り禁止」の貼り紙も意味深に、長野総合車両センター脇の廃車体置き場に佇んでいます(^^;
(※ 敷地外から撮影したものです。)







7月9日(土)の記事で、長野電鉄の8500系に「モンスターハンター」信州渋温泉とのコラボイベントの開催をPRするヘッドマークが取り付けられている(その後、6編成全部への取付けを確認済み。)ことを紹介しましたが、今度は7月20日(水)から1000系「ゆけむり」と2100系「スノーモンキー」各1編成に、イベントのPR及びゲームキャラクターなどをラッピングした「モンハン特急」を運行しています。

それぞれの列車を、仕事帰りの僅かな時間を利用して撮影してきました。
どちらも日没直前ですので、撮影に適した時間帯とは言い難いのですが、ひとまずの姿を紹介したいと思います。



▲ 西日を背に受けて、通勤客を乗せた17B列車「ゆけむり」が信濃吉田駅に入線してきました。ラッピングした車両は、原則として8月28日(日)までの期間、定期特急列車にて運行されるようです。なお、1000系はS1編成がラッピングされています。
(イベント期間中でも、検査等のための「モンハン特急」の運休日が設定されているようです。詳しくは、長野電鉄HPをご覧になることお勧めいたします。)


余談ですが、上の写真の左隅に写っているのは、現在は2線の信濃吉田駅が、3線構造の折り返し可能駅だった頃の名残で、踏切の部分にハッキリと線路があった痕跡が残っています。



▲ 長野駅で捉えた「モンハン特急」ゆけむりの正面。丸いヘッドマーク(恐らくステッカー)が貼り付けられています。



▲ 湯田中方先頭車の左側面です。前作が妙にリアルすぎて子ども泣かせなデザイン(!?)だったのに対し、今回は可愛らしい描き方をしたキャラクターが各所にラッピングされています。



♯ 2100系「スノーモンキー」の方は、また改めて紹介したいと思います!



先日、新宿西口で見かけたアルピコハイランドバスの新型ガーラSHD、26092号車。高速バス・松本~新宿線の増車運用に入っていたようで、フロントガラスと乗降ドアの内側に補助サボが掲出されています。



▲ 新宿西口に高速バスとして姿を見せたハイランドの貸切車。よく見ると、何かが足りないようですが…??


そしてまた別の日、松本駅アルプス口で見かけたハイランドのセレガとセレガRのGJ。団体が重なっていたのか、短時間に何台もの貸切車が慌しく発着を繰り返していました。



▲ セレガR GJの20047号車と…



▲ セレガGJの29042号車。特にこちらのアングルからですと、その違和感がより増幅されます(^^;;;


私が足りないと感じたもの-それはアルピコ交通発足前のグループバス会社のうち、唯一ISOの認証を受けていた事業者であるアルピコハイランドバス(2009年1月からは松本電鉄に編入し、「ハイランド~」のブランドのみ存続)の車両に貼られていた認証マークです。
公式側の乗降扉の脇と車体後部の計2か所に、ISO9001ISO14001の2種類の認証マークが貼られていたのですが、それが綺麗さっぱり消えてしまっています。ここで紹介した3台以外に見たバスも、全て同じ状態です。

詳細な理由は分かりませんが(HP等での公式発表も無いようですし…)、恐らくアルピコ交通発足に伴う組織の再編に絡む事情(事業者としてではなく、その一部の車両にのみISO認証がある状態になってしまうのが宜しくないという判断でしょうか?)や、ISO認証を維持するための経費的な負担(詳しくは知りませんが、認証に対するライセンス料みたいなものは当然あると思います。)等への抵抗があるためはないでしょうか。

一つのブランドとして、ISO認証を受けているという証として車体に貼られたマークは、カッコよくて好きだったのですが、それがなくなってしまったのは残念です(T_T)




▲ 昨年5月に、松本BTの前で高速バス・松本~新宿線の増車として待機する姿を捉えた28080号車。この時はまだISO認証マークが貼られています。なお、社番の下3桁が、上の29042号車20047号車より大きい番号になっていますが、これはアルピコハイランドバス発足当初はまだ諏訪バスに在籍していた名残で、2003年頃にハイランドに編入されたため、その時の続番として下3桁の数字が振られたためです。



▲ いつの間にか見納めとなってしまったハイランドのISO認証マーク。



久しぶりに長野県内のバスネタに戻してみました(^^; そして久しぶりの朝更新です。

今日から29日(金)までの3日間、松本市で行なわれる「第23回 国連軍縮会議in松本」。
「核兵器のない世界に向けた緊急の共同行動」をテーマとする国際会議のようですが、詳しい内容はひとまず置いといて…と(^^;
(このブログの本題にそぐわないのと、そもそも私の無知を曝け出しかねないので、ここでは割愛させていただきますm(__)m)

さて、この国際会議からどうバスに繋がるかというと、松本市内を走る松本電鉄バスの前面に、この会議をPRするエプロンを付けた車両が走っているのと、タウンスニーカーの1台にこの会議のことをラッピングした車両が走っていることから、ブログのネタとして取り上げた次第です。





▲ この会議のことをラッピングした日野新型ポンチョの10721号車。普段は白い車体にTownSneakerのロゴが入っているだけのさっぱりした車体に、青ベースの広告が爽やかに目立ちます。もちろん、エプロンもつけています。


この10721号車は、専ら松本駅アルプス口(西口)から合同庁舎方面を周回する[230]系統・西コースに用いられるということです。



このところ、鉄ネタ続きで恐縮です…(^^;ゞ
懲りずに今日も…というわけで、今回はこの車両についてです。





お馴染み(!?)、長野電鉄の8500系電車です。
3500・3600系の後継車両ということで、2005(平成17)年の登場以来現在までに3両編成×6本の18両(他、部品取り用に中間車2両)が、東急電鉄から長野電鉄に譲渡されています。
20m車体の収容力の大きさがラッシュ時の輸送に威力を発揮する一方で、抑速制動を備えていない関係で勾配線区である信州中野~湯田中間に入線できないという制約もあり、使い勝手がいいんだか悪いんだか今イチ不明な車両です。しかし、東急時代の社紋の位置に長野電鉄の社紋が貼られた程度で、基本的に東急時代の姿のまま使われており、地下の長野駅などで見ると「新玉川線か!?(←この呼称も過去のものとなってしまいましたが(^^;)と思えてしまう車両です。
当初の計画では、3両編成×7本とも9本とも言われる車両数が長野電鉄譲渡される予定だったようですが、景気の具合のせいなのか長電の懐具合のせいなのか、2009年春にT5・T6の2編成が増備されて以来パタッとその足音が途絶えてしまいました(^^;

そんな8500系ですが、本家・東急電鉄では、昨日紹介した“新しい5000系”の増備のペースが落ちているためか、まだまだ現役で頑張っている車両が数多くいます。いわゆる“8000系列”と呼ばれるステンレスカーの中で、“8500系”として製造されたのは400両ですが、まだこの約半数が田園都市線及び大井町線を走っています。

先日、渋谷で5000系のカットモデルを見た後、田園都市線に乗って宮崎台まで行ってみました。
(なぜ宮崎台かは容易にご想像いただけるかと思いますが…(^^;ゞ)
やってきたのはちょうど8500系、田園都市線の渋谷駅で見ると、本当に長野電鉄の雰囲気そのまんまです(^^;;;

一つ、明確に異なることといえば…


編成が長い!


普段、長野電鉄を走る3両編成の8500系を見慣れていると、10両編成で走る本家の8500系は異常に長く見えます(^^;;;



▲ ちょうど宮崎台駅で降りたとき、反対のホームにこんなデザインの8500系が停まっていました。“引き”が取れないのでこんなアングルでしか撮れませんでしたが、静岡県の伊豆急行へ譲渡された8000系と同じデザイン・カラーの帯を纏った「伊豆のなつ号」という編成だそうです。



▲ 宮崎台駅に進入する中央林間行きの8500系。スカートの付いた前面は、長野電鉄のT5編成(一番上の画像)に良く似ています。
(フレーミングに失敗して、後ろの方の2~3両がカーブの向こうに切れてしまいました…orz)



“東急電鉄5000系”つながりで、今日はこんな話題を…

“青ガエル”と呼ばれた東急5000系は、戦後間もない1954(昭和29)年に最初の車両が誕生し、以来1986(昭和61)年まで活躍しました。
一部の車両は既述のとおり地方の各私鉄へ譲渡されましたが、最後の車両が廃車され、名車と呼ばれた東急5000系という系列の電車は、いったん姿を消します。

そして、時は流れて2001(平成13)年-再び“5000系”を名乗る車両が東急電鉄に登場します。「2代目5000系」とか「新5000系」とも呼ばれる新しい5000系は、老朽化した8000・8500系列の車両を置き換えるために、田園都市線(10両編成)や東横線(8両編成・5050番台)、そして地下鉄との乗り入れが開始された目黒線(6両編成・5080番台)に投入され、今では一大勢力を築くまでになっています。

その5000系ですが、先日田園都市線に乗る機会があり、偶々トップナンバーの5001号(新しい5000系では、先頭車両にモーターを積んでいないため、“クハ5001号”と呼ばれています。)を含む編成に出会うことができました。



▲ 東急田園都市線・宮崎台駅に進入する5000系5001F。先頭はトップナンバーのクハ5001号。試作的要素を持つ車両のようで、その後増備される車両とは編成中のモーター車の位置等の組成順序が異なります。



▲ 振り返って反対側を。こちらはクハ5101号が先頭です。なお、このとき同行してくださったじゅげむ9007さんのお話しですと、運行番号が「**T」(LEDが切れているため、数字の部分が判別しませんが…orz)となっているのは地下鉄半蔵門線を介して相互乗り入れをしている東武車両の運用であり、ダイヤの乱れ等何らかの異常があったために発生した珍しい現象ではないか-とのことです。


この新しい5000系ですが、側面は東京圏のJR東日本ではお馴染みの209系・E231系電車と共通設計のデザインをしています。個性的なイメージが非常に強かった初代の5000系に比べるとインパクトが弱い車両ですが、省エネ等最新の技術を使って製造されている車両であり、機能面では当然初代5000系を超える性能を持った電車です。



松本電鉄の保存車両である5000系(デハ5005+クハ5006)に青ガエル塗装が復活することに関連してこんな話題を…

元東急電鉄の5000系は、車体の軽さ及び18mという短い車体長から地方私鉄への譲渡例が非常に多く、長野県内では松本電鉄のほか、長野電鉄と上田交通(当時、現・上田電鉄)にも同様に譲渡された5000系車両が活躍していました。
このうち、上田交通に譲渡された5000系8両(2両編成×4編成 なお、それ以前にも旧型車両と連結できるよう改造された車両が2両譲渡されています。)は、1986(昭和61)年から1993(平成5)年まで活躍しましたが、この中には5000系のトップナンバーであるデハ5001号(上田交通でも同様にデハ5001号を名乗っていました。)が含まれており、上田交通を引退した後は再び東急に里帰りし、1954(昭和29)年に登場した当時の姿に復元の上、同電鉄系列の東急車輛製造(横浜市金沢区)にて保管されてきました。

それが2006(平成18)年になって、同車の運命が急転します。それまで東急車輛製造の工場内で一般の目に触れることなく保管されてきた同車が、渋谷駅前にて展示・保存されることになったのです(渋谷区への譲渡という扱いのようです。)。
なお、展示に当たっては、18mの車体を11mに短縮の上、台車や床下機器を外し、いわゆる“ダルマ”の状態になって再び私たちの前に姿を現したのです。

先日、東京へ行った際に時間があったので、そのデハ5001号に再会してきました。私自身は、上田交通での引退運転が行なわれた1993年5月以来、18年ぶりのことです。







▲ 渋谷駅前広場(田園都市線・半蔵門線の地下駅への入口階段の脇)に展示・保存されている元東急電鉄デハ5001号。車体が18mから11mに短縮され、側面の扉が2か所になったため、まるでBトレインショーティの実物版!といったところです(^^; 車体の短縮や床下の撤去など、鉄道車両の保存形態としては残念の一言に尽きますが、これからも渋谷を訪れる方たちに愛され、大切に保存されることを願っています。




7月12日付けのアルピコ交通HPにて公表された、松本電鉄が保管している5000系電車の外板補修と再塗装(当ブログでは、7月13日の記事を参照してください。)ですが、その作業の第一弾が7月16日(土)~17日(日)の2日間の日程で行なわれました。

今回、縁あって作業ボランティアとしてのお誘いを受け、17日(日)の数時間だけですが、参加させていただくことができました。
2日間かけて行なわれたのは、2両の外板の錆落とし、パテによる穴埋め、原型復帰のためのワンマン関係装備(サイドミラー、乗降口案内表示等)の撤去等で、2日目の17日(日)には松本方のクハ5006号の塗装をほぼ終えるまでになりました。

まだ“青ガエル”になった5000系の公開前ですし、その詳細な画像をここで紹介することは差し控えさせていただきます(17日の数時間だけでは、それほどの画像を撮ることもできませんでしたし…(^^;)が、一部だけ紹介させていただこうと思います。



▲ 再塗装直前のクハ5006号。外板の補修が丁寧に行なわれ、窓ガラス等にマスキングが施されています。



▲ “青ガエル”の顔が蘇ったクハ5006号。前面はエアブラシを使用して塗装されました。まだナンバー等に色を差す前ですが、その雰囲気は十分に蘇っています。



▲外板補修作業中のデハ5005号(左)と塗装作業中のクハ5006号(右)の連結面。側面から妻面にかけては、ローラー及び刷毛を使用しての塗装です。私が塗らせていただいたのもこの辺りです。



▲ 錆落としによって剥がれた外板の塗装片。白、赤、青の松電カラーに加えて、東急電鉄時代の緑色の塗装片があったことに感慨を覚えました。


このあとも引き続き作業が行なわれるようですが、早く綺麗に蘇った青ガエルの姿を拝みたいと思います。
当日は、猛暑の中の作業となりましたが、皆さん本当にお疲れさまでした。中には“本職(!?)”の方もいらっしゃる中、私のように素人では足手まといにしかならなかったのではないかと思いますが、お世話になりまして本当にありがとうございましたm(__)m



先週末に松本へ行った際に、(少しだけですが)松本電鉄上高地線にも乗車する機会がありましたが、その時に方向幕のデザインが変化していることに気がつきました。





▲ 上高地線を走る元京王電鉄井の頭線の3000系電車。左側のフロントガラスの内側に設けられているのが、電車の行先を示す「方向幕」と呼ばれる装置です。


いままで、上高地線の方向幕にはローマ字の表記がなく、白地にワンマン 松本」「ワンマン 快速 新島々」などと日本語が書かれているだけでしたが、今回の更新を機に黒地に白抜き文字での表記となり、ローマ字が併記されるようになりました。





▲ 前面(上)と側面(下)、ともに黒地に白抜き文字で、ローマ字併記のスタイルとなった上高地線の方向幕。以前は、側面にも“ワンマン”の表記がありましたが、新しい方向幕では行先のみの表記となっています。


“ワンマン”の電車のことを、“Conductless Train”“車掌のいない列車”…という意味でしょうか。)と表記しています。ローマ字表記というか英文表記の凝り様は、さすがバスの方向幕で定評のある(!?)松本電鉄ですね(^^; 単に“One-Man Train”などとしなかったところはお見事です(^^;;;


また、バスでは方向幕をLEDによる行先表示器に改造する傾向が強いですが、今回は幕の入換だけで済ませているようです。そもそも、上高地線では表示するコマ数もせいぜい数パターンですから、その方が安上がりなのでしょう。



2010年からJFLに昇格した松本市のサッカーチーム“松本山雅FC”。
アルピコ交通・松本電鉄では、このチームを応援しよう!ということで、昨年10月から試合のある日とその前日の2日間ずつ、上高地線を走る3000系電車の前後にヘッドマークを装着して運転しています。
先日松本を訪れた際に、このヘッドマークを付けた電車を初めて目にすることができました。





▲ “松本山雅FC”応援ヘッドマークを装着した3000系3003F。いずれも新村駅にて。



▲ 応援ヘッドマークをアップで。マークはチームカラーの緑色がベースです(^^)


また、松本電鉄バスにおいても、日野ブルーリボンシティの10400号車が“松本山雅FC”カラーのラッピングバスになり、街中を走ることでPRに一役買っているようです。
(私自身はこのバスをまだ撮影できていないのですが…(^^;)


今年もこの季節がやってきました!



▲ 松本駅のホームの屋根に下げられた“松本ぼんぼん”の提灯。今年も松本の夏の風物詩の時期がやってきました!


毎年8月の第1土曜日に行なわれる“松本ぼんぼん”。今年は8月6日に行なわれます。
松本の中心街を埋め尽くす踊りの連、暑さを熱さで吹き飛ばすような、それはそれは賑やかなお祭りです。

ここ数年ご無沙汰ですが…今年はひょっとしたら行けるかもしれません(^^)!?
そうなったらいいなと、今から少しだけ楽しみです(^^;



▲ ズラリと並ぶピンクと白の提灯。今年も盛大なお祭りになりますよう願っています!


♪どっこい どっこい じんじょ
 どっこい どっこい じんじょ♪

この時期は松本の至る所で流れる「松本ぼんぼん」の歌。しばらくすると、頭の中でグルグルとリピートが始まります(^^;;;





この3連休はとにかく暑かったですね。
17日(日)は松本まで出かけたのですが、駅前の温度計を見てビックリ!





何と、40℃を表示しています!!
友人の話では、この温度計は若干高めに表示することが多いそうですが(ちなみに17日の松本市の最高気温は35.4℃だったそうです。)、それを加味してもこの表示…全身からやる気を一気に奪ってくれます(^^;;;



▲ 強い逆光に高速バスも真っ黒に焼かれ…!?


この時期は、そこかしこで体調管理に関する情報が流れているのを目に耳にしますが、屋内外に関わらず熱中症対策は十分になさってくださいね>>ALL



今さらこんなネタを…という感じですが(^^;

2000系A編成の最終運行となった今年3月27日(日)、朝陽駅でこんな看板を見かけました。





「ホームと電車との間に段差がありますのでご注意ください。
当駅の段差解消工事を予定しております。工事完了までご迷惑をお掛けいたします。
長野電鉄 朝陽駅」



そう看板に書かれた朝陽駅のプラットホームは、バリアフリーが意識される現在においては、確かにホームと車両の間の段差がやや大きいように思えました。





▲ 2000系A編成、そして8500系が停車し、ドアが開いた時の様子。目測で20cm以上は段差があるでしょうか。子どもやお年寄りには特に辛い段差だと思われます。


そして、今年5月の連休になり…久しぶりに訪れた朝陽駅は、様相が一変していました。
3月の終わりから僅か1か月余りの期間しか経っていないのですが、プラットホームの嵩上げ工事が完了していたのです。



▲ 白線の代わりに点字ブロックが敷かれ、アスファルトで固められたプラットホームの表面。従来のブロック敷きに比べて歩き易さも向上したようです。同じ8500系のドアが開いた時の、客室内の床面とプラットホームの段差は、ほぼフラットになったと言ってもいいほどです。


また、プラットホームの嵩上げに合わせて、ホーム上にある待合室が新しくなりました。





▲ 建替え前(上)と建替え後(下)の待合室。同じ木造ながら、趣深さというか佇まいが随分変わってしまいました。以前の待合室の雰囲気が大好きだったのですが…(^^;


そしてもう一つ、撮影名所(?)ともなっている長野方のホーム端に、安全への配慮からか柵が設けられました。



▲ 撮影には大きな影響は無いようですが… いずれにしてもここで電車を撮影する際は、お互い譲り合って危険の無いようにしたいものですね(^^)


5月の連休明けから書こう書こうと思っていたことがようやく記事にできました(^^;
そして今日もこんな時間の更新です…orz
そんなに忙しいわけでもないのですが、平常ダイヤへの回復にはもう少し掛かりそうです(^^;


細々と書き溜めておいたネタも底を突き、今朝アップするネタを仕込んでいないまま昨日は力尽きて寝てしまい、今頃のアップです。そして今回も“松代ネタ”から。





長野電鉄屋代線・松代駅の駅舎の外に掲げられた附近の案内地図(駅舎出入口の左脇)-
都会のJRや私鉄の駅の改札の近くには、必ずといってよいほどこの手の案内地図が備えられており、カラーで見易くて私自身もよく利用しています(^^;


そんな松代駅の案内地図には…



▲ 地図の中央に配された松代駅。構内の配線どおりに描かれているのがスゴイです!


未だに「長野電鉄 河東線」の表記が残っています!
(松代駅の左下方向)


元々は屋代~須坂~信州中野~木島間の路線を指して「河東線」と呼んでいたのですが、2002(平成14)年3月に信州中野~木島間(いわゆる“木島線”区間)が廃止されたことを受けて、同年9月からそれまで通称として“屋代線”と呼ばれていた屋代~須坂間を正式に「屋代線」と呼ぶことになり、「河東線」という名称は姿を消しました。
(余談ながら、長野~須坂間の「長野線」、須坂~信州中野間の「河東線(一部)」、信州中野~湯田中間の「山ノ内線」を統合して「長野線」と呼ぶことになり、列車の運転区間と路線名称が一致することになりました。)


もう一つ松代駅の待合室内に見つけた気になるものを…





幕式の発車案内装置(←正式には何というのでしょうか?)です。
私の子どもの頃は、1本列車が発車する度にこれがクルクル回転して、次の列車の発車時刻と行き先(この表示機が現役時代には、須坂方面は須坂行きだけではなく“長野行き”もありましたし、国鉄からの直通列車の“湯田中行き”等もありました。)を表示していたのですが、もう随分長いこと“真っ白”のまんまです。ひょっとして最後に使った時の列車時刻が残っていたりして…
もう一つ、その上の長野駅前のC-oneビルの広告には“0262-”と市外局番4ケタ時代の電話番号(下4ケタは抹消してあります。)が書かれ、1階から4階までの店の営業時間が“午後6時30分まで”というのも時代を感じさせてくれます。



今回はバスとも鉄道とも関係ない話題なのですが…

昨日の記事との関連で松代の街の中を少しブラブラした時に、松代駅に程近いある大きな建物が足場やシートで覆われているのが見えました。





私が子どもの頃、父やこの街に住む親戚から、「昔はボウリング場だった」と聞いたことのある建物で、もう10年20年という単位で使われていなかったと思われる建物です。





足場やシートで覆われた建物の中では、重機が何かを壊しているような音が響いていました。





内装だけやりかえるためなのか、それともこの建物そのものを取り壊すことになったのかは分かりませんが、近いうちにこの姿は見られなくなると思われます。





この建物の最大の特徴-それは、自身がボウリング場だったことをその後も世に示し続けた大きなボウリングのピンです。
ボウリングがブームになった昭和の時代の忘れ形見のような雰囲気が漂っているようです。
よく見ると、ピンの先にはアンテナのようなものが伸びていますが、ひょっとしたら避雷針も兼ねていたのかも知れませんね。


今回は、先日松代の街の中を歩いていたら目に留まった案内地図のことを紹介したいと思います。



▲ 画像右手の案内地図がそれです。松代駅(画像正面奥)から松代総合病院を経て松代郵便局のある通りへと抜ける道沿いにその案内地図はあります。



▲ ちなみにこの通りには、[30]系統・松代本線をはじめとする路線バスが一日を通じて頻繁に通っています。ちょうどやってきたのは県庁前行きの松代本線のバスで、今話題の“40748号車”です(^^;
(1つ目の画像の撮影場所から後ろを振り返って撮影したものです。“くの字”に曲がる道なりに歩くと、松代交番や松代総合病院があります。)



▲ この地図の下半分です。松代駅から警察署(現・松代交番)のある交差点に向かう途中で1つ目と2つ目の画像を撮影しました。この道をずっと歩いていくと…郵便局の通りに出る交差点の脇には何があるでしょうか?



▲ もう少しアップにすると…何と「川中島自動車」の文字が! かつての「松代発着所」がそのまま記載されています。地図の周りのお店等の案内は、電話番号を含めて比較的最近にも更新されているようなのですが、なぜかバスの発着所はそのまま残されてしまっていたようです(^^;



▲ かつての「松代発着所」を撮影したものが1枚もありませんので、代わりに現在の様子を撮ったものを紹介しておきます。左端の園芸用品やさんの駐車場附近が、かつての発着所です。奥の大きな建物は松代総合病院、その向こうが松代駅です。通りの途中に高速バス用車両(42182号車)が止まっていますが、そこが発着所の代わりに設けられた“松代八十二銀行前”のバス停です。



☆ 最後の画像に小さく写っている高速バス用車両については、また改めて紹介したいと思います



6月6日(月)の記事で、本郷東さんからお借りした画像を用いて松本22ナンバーの川中島バス40748号車のことを紹介しました。
そして、その記事に対していただいた丹波島橋南さんからのコメントの中で、長野2ナンバー長野22ナンバー“748番”は川中島バスが取得していることをご紹介いただきました。

そして、本郷東さんからこの2台の画像を拝借することができましたので、今回はこの車両を紹介いたします。
(本当は、松本ナンバーの40748号車の記事のすぐ後にご提供いただいていたのですが、他の記事を優先させているうちに1か月も経ってしまいましたorz>>スミマセン、本郷東さんm(__)m)



「長野2あ・7 46」(左)と「長野2あ・7 48」(右)。2台とも日野(車体:川崎重工)のRC320という形式の車両で、製造年は1970(昭和45)年です。前中引戸の長尺車で、国道線(長野~上田間、現在の[32]系統・運転免許センター篠ノ井線)を主な運用路線として1993(平成5)年頃まで活躍した車両でした。なお、同年式の同型車が、フロントのナンバープレートがバンパー上に取り付けられているのに対し、40748号車だけはバンパーより上の車体に取り付けられているという特徴がありました。
(1985(昭和60)年頃撮影、川中島バス本社(松岡)にて。※ 本郷東さんからお借りしたもので、許可を得られて撮影されたものです。


この当時、国道線は上の画像のように緑地に白抜き文字、県道線(長野~上山田間、現在の[33]系統・北原線)は紫地に白抜き文字、宇木線は橙地に黒文字のように、一部路線は路線別に色分けされた方向幕を使用していました。
「長野駅・芹田経由松岡」(※ 「経」は糸偏の無い字体)は、現在の運免線と東通り線をつなげたような路線で、稲葉で国道18号を横断して当時本社のあった松岡まで行く路線の方向幕でした。“専用レーン経由”の表示は私自身初めて見るもので、古いながら非常に新鮮な感じがします(^^;



▲ 上の40748号車をリアから撮影したものです。左に少しだけ写っている銀色の車体のバスは、みすずハイウェイバス用に1988(昭和63)年に製造された三菱ふそうエアロバス(P-MS725S)・41610号車です。
(1985(昭和60)年頃撮影、川中島バス本社(松岡)にて。※ 本郷東さんからお借りしたもので、許可を得られて撮影されたものです。



▲ こちらは「長野22あ・7 48」の車両です。日野(車体:日野車体)のRE101という形式の車両で、製造年は1977(昭和52)年です。前中折戸の中尺車両で、大豆島線や北屋島線、そして末期は県道線で1994(平成6)年頃まで活躍した車両でした。
(1990(平成2)年頃撮影、川中島バス上山田営業所にて。※ 本郷東さんからお借りしたもので、許可を得られて撮影されたものです。



▲ 上記車両の同型車、40744号車(左)を前から撮影した画像です。この40744号車も、ナンバープレートがバンパー上ではなく車体に取り付けられた異端車だったそうです。右の40540号車はワンサイズ小さいRL320という形式の車両で、画像のように市場線などローカル線に用いられることが多かったようです。同じ日野の車両ながら、ライト周りやフロントガラスの高さ、マーカーランプの色など結構異なる点が多いのが興味深いところです。
(1985(昭和60)年頃撮影、長野バスターミナルにて。※ 本郷東さんからお借りしたものです。




そして現在-


「長野200か・7 48」を付けた車両が川中島バス(アルピコ交通)で活躍しています。遠州鉄道からの譲受車で、日野+富士重工7Eという異色の組み合わせのU-HT2MLAA(1992年式)という形式の車両です。
(一番上の日野+川崎という組み合わせも十分異色でしょうが…(^^;)


以上、「長野2あ」→「長野22あ」→「長野200か」の3種類のナンバーでそれぞれ“748番”を付けた川中島バスの車両を紹介しました。前回の「松本22あ」、「松本200か」と合わせると、川中島バスで30数年の間に5台もの車両が“748番”を取得するというある種神がかった事象ですが、これから先ナンバープレートの体系が変わった時に、もう1回“748番”が川中島バスの車両に回ってくるのか、この目で是非とも確認してみたいものです(^^;


最後に、改めて貴重な画像をご提供くださった本郷東さんと、古い車両の形式等について詳解いただきました丹波島橋南さんに、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございますm(__)m



アルピコ交通のホームページを見たら、ビックリする記事が7月12日付けで掲載されていました。

それは…

「松本電鉄 5000形」外板補修及び再塗装のお知らせ
(リンクはこちら⇒http://www.alpico.co.jp/information/company_news/2011/07/_5000_2.php

というもので、同社(松本電鉄)で2000年に廃車となった後も新村車庫で保管している5000系電車(モハ5005+クハ5006の2連1編成)が、前回の補修塗装から3年程が経ち、再び車体各所に錆や腐食が目立ってきているため、外板の補修及び再塗装を行うことになった-というものです。

なお、再塗装に当たっては、現在同車が塗られている旧松本電鉄色ではなく、緑色一色(7.5GY4/4)(←この表記は良く分かりませんが、東急グリーンのことでしょうか??)になる予定-とのことです。

作業は、ボランティアの手を借りながら7月中旬に着手し、今年初秋(…というと8月下旬から9月初旬頃でしょうか)には新しい姿をお披露目できそうとのことですが、かつて東急電鉄で活躍し、そのカラーリングと丸みを帯びた愛嬌のあるスタイルから「青ガエル」と呼ばれた姿が復活するのは、今からとても楽しみです。
(松本電鉄の特徴ある塗装が見られなくなるという寂しさもありますが…)



▲ 2000年夏まで走る姿が見られた5000系の松本電鉄カラーは間もなく見納めとなるようです。昨年6月に開催された撮影会での1コマです。


ところで、東急から地方私鉄に譲渡された5000系電車は、長野県内では長野電鉄、上田交通とこの松本電鉄の県内3私鉄全てで活躍し、北は福島交通、岳南鉄道、そして遠く九州は熊本電鉄にまで及びました。このうち、熊本電鉄では現在も2両の5000系が現役として活躍中で、塗装も同社オリジナルカラーを経て2004(平成16)年から東急時代のグリーンに戻されています。







▲ 主に支線の北熊本~上熊本間での単行運転用として使用される5101A(元・東急デハ5031)及び5102A(元・東急デハ5032)。オリジナルの運転台の反対側の妻面に運転台を増設して、1両で運行できる両運転台車に改造され、増設された運転台の側は“平面ガエル”などとも呼ばれています。なお、2両は元の車両の向きの関係上、オリジナルの運転台と増設された運転台がそれぞれ異なる方向を向いています。また、車両番号の後の“A”は、同社ではATSを装備する車両を意味するそうです。
(上熊本及び北熊本にて、2007年8月撮影。)





▲ 同車の車内の吊り革は、東急時代のオリジナルのままで、渋谷の“109”の広告がそのまま残されています。(5101A)
(※ 松電の5000系には、“東横のれん街”の広告が残っていたものもありました。しかし、こちらは別の広告が書かれたカバーで覆われていました。)


熊本の5000系は、譲渡から30年が経過(現在活躍している2両は26年)し、老朽化が否めないようですが、代わりの車両の導入の目途も立たず、また車体の強度的に冷房改造も儘ならないようで、暫くはこのままでご辛抱を-という貼り紙が車内に合ったのが印象に残っています。


“屋代駅に留置された169系”つながりで、古い画像の中からこんなものを見つけたので紹介します。







撮影したのは2000(平成12)年10月頃で、現在169系が留置されているのと同じ線路にJR長野色の169系が何とも不気味な姿(!?)で留置されています。

車両は、元松本運転所(当時)のA6編成と呼ばれた3両編成で、長野方からクハ169-7+モハ168-17+クモハ169-17の順に組成されています。
恐らく、部品取りのために提供もしくは譲渡された車両ではないかと思われますが、ここに置かれた時期(しなの鉄道の開業当時は無かったように思います。)や撤去(解体?)された時期については不明です。後にも先にも、この時一回限りの目撃だったので…(^^;
それにしても色褪せた長野色にしな鉄カラー(ガンメタではなく、現在のダークグレーのような色調に見えますが…)の貫通扉、取り外されたライト類やところどころ歯抜けになっている冷房装置…等、何ともいえない姿を晒していました。S55編成になれずに…成仏できたのでしょうか!?



▲ 長野方のクハ169-7。ライト類が一切無く、向かって左側のジャンパ栓受けや側面のサボ差し、そして一番奥(5番目)の冷房装置もありません。



▲ 中間のモハ168-17。中央の冷房装置が無いのが一番の特徴(!?)です。遠めには昔の冷房準備車のようにも見えなくもないような…(^^;



▲ 中間の連結面。車端部の銘板類は撤去されているようです。擦れかかった「長モト」の所属表記が見えます。



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