本日3月31日をもって、長野県東筑摩郡波田町は廃止され、松本市に編入合併されます。
これを記念して、松本市と波田町の両自治体を走る松本電鉄上高地線の電車には、ヘッドマークが取り付けられています。

ヘッドマークには、合併を記念する文字の他、松本電鉄バスのハイブリッドノンステップ車にもステッカーが貼り付けられている“健康寿延伸都市・松本のロゴや、松本電鉄の90周年を祝う文字が記されています。




(合併記念HMを取り付けて運転される松本電鉄上高地線の3000形電車。)



(ヘッドマークのデザインは、お馴染み“まつもとぼんぼん”のHMと同じ変則六角形。)



(ハイブリノンステ車にも貼り付けられている、“健康寿延伸都市・松本のロゴ。)



(松本駅前には、合併記念の横断幕が掲出されています。地元サッカーチームの写真や、信州まつもと空港に新たに就航することが決まっている会社の飛行機の写真が使われています。波田町に関係するのは…スイカでしょうか(^^;)




☆ ☆ ☆ ☆ ☆

これだけではつまらないので(^^;、少しだけ真面目なお話しを…

2003(平成15)年9月1日の千曲市の発足(更埴市・埴科郡戸倉町・更級郡上山田町による新設合併(※))に始まった、長野県内の平成の大合併は、当初120あった市町村数が、今回の波田町の松本市への編入合併(※)に伴い、3分の2弱の77にまで減ります。
合併新法に基づく市町村合併の期限である平成22年3月末に行なわれるこの合併をもって、いわゆる“平成の大合併”にピリオドが打たれます。

ところで、市町村合併とは、地方自治法(昭和22年法律第67号)に定められる市町村の“廃置分合”の形態の一つとされ、次の2通りの方法があります(※)

○ 新設合併
○ 編入合併


“新設合併”とは、合併に関係する市町村をいったん全て廃止し、その区域に新たな市町村を設置することを言います。
また、“編入合併”とは、ある市町村を廃止し、その区域を別の市町村の区域に編入とすることを言います。

ここでややこしいのが、新設合併の際に、自治体の名称として、廃止される自治体の名前を付けてはいけないという決まりが無いため、合併の中心となる自治体の名前が変わらないという現象が頻繁に起こっているということです。
例えば、平成18年3月31日に「伊那市・上伊那郡高遠町・上伊那郡長谷村」が合併し、新しく設置された「伊那市(新・伊那市)」という自治体は、3月30日まで存在していた「伊那市(旧・伊那市)」とは別の自治体、ということです。

編入と新設のどこが違うかというと、一番見た目に分かり易いのは、合併後に首長や議会議員の選挙が行なわれることです。また、新しく設置される自治体のため、予算も新しく作ります
(このため、新・伊那市には、3月31日たった1日だけのために、“平成17年度予算”というものが作成されました。また、伊那市の場合、旧・伊那市の最後の市長が、選挙の結果、新・伊那市の初代市長に就任したため、さらにさらにヤヤコシイですね(^^;)

もっとややこしくしてしまうと、お隣の新潟県では、2005(平成17)年4月1日に中頚城郡妙高高原町同妙高村を編入合併した新井市という自治体がありますが、新井市は合併の日をもって“妙高市”に改称したため、一見すると「新設合併?」と思えてしまうケースもありました(^^;;;

今回の波田町の合併は、松本市への“編入”のため、市長は変わらずそのままですし、市会議員も波田町の分だけ定数の改定は行なわれるものの、基本的には既存の松本市議会のままで、予算も松本市のものが基本となります。


【参考1】(官報告示抜粋)
総務省告示第11号
  市町の廃置分合
地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、東筑摩郡
波田町を廃し
、その区域を松本市に編入する旨、長野県知事から届出があったの
で、同条第7項の規定に基づき、告示する。
右の処分は、平成22年3月31日からその効力を生ずるものとする。
平成22年1月12日
                         総務大臣 原口 一博

【参考2】(地方自治法抜粋)
第七条  市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、直ちにその旨を総務大臣に届け出なければならない。
2  前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ総務大臣に協議し、その同意を得なければならない。
7  第一項の規定による届出を受理したとき、又は第三項若しくは第四項の規定による処分をしたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
8  第一項、第三項又は第四項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。


※ 何だか堅い話で長々と脱線してしまいました(^^;


パンダエアロの“卒業式”から一週間が経ち、また週末を迎えました。
3月26日(金)の19時20分頃、長野駅東口を通ったところ、ロータリー前の道路に川中島バスのパンダエアロの41831号車が「ALPICO」幕を表示して止まっていました。金曜日の夜ですので、そのときは「20時30分発の白馬行きの増車待機かな?」と思い、通り過ぎました。

その後、用事を済ませて20時25分頃に再び東口を通ったら、今度は先ほどの41831号車の後ろに、同じく「ALPICO」幕を表示した41851号車が並んでいました。



(夜の長野駅東口に佇む2頭の2台のパンダ。左上には、20時30分発の白馬行き(恐らく45680号車)の姿も。)



(増車待機の姿は、週末の午前中の方が良く見られますが、夜に2台がまとめて見られるのも良いものです(^^;)



東口発2030の白馬駅・八方行きが出発した後(恐らく45680号車)、41831号車は東口を離れていきましたので、恐らく本社へ帰っていったのでしょう。
一方の41851号車は、白馬⇒長野駅東口着1955の便(又はその増発便)が、そのまま本社に帰らずに待機していたのかもしれませんね。これより後に発車する白馬線は、もうありませんので、41851号車もしばらくして本社に帰ったのではないでしょうか。




(41831号車が帰った後も、しばらく41851号車は待機。その後程なくして、運転手さんとバス乗り場のスタッフの方が戻ってこられたため、このバスに乗って帰ったのでしょう。)

いずれにしても、“卒業式”後もパンダが元気なところを見ることができて、ラッキーでした(^^)v


※ この記事は、3月27日に文字だけでアップしたものを画像を交えて再編集したものです。


先日、広丘駅(塩尻市)近くの施設に用事があって、ものすごく久しぶりに同駅に降り立ったのですが、駅の東西を自由に通り抜けられる通路を備えた橋上駅舎に生まれ変わっていて驚きました。
併せて、本日(3月29日)から東口の駅前広場(ロータリー)の供用が始まり、国道19号に接続されることになるとの看板も出ていました。




(広丘駅西口の様子。2007年に整備された駅舎と真新しいロータリー。)



(用意されたバス停には、ちゃんと上屋も設けられている。)


真新しいロータリーは、東口と併せて西口も整備され、ちゃんと塩尻市地域振興バス「すてっぷくん」のバス停も用意されています。
このロータリー整備に併せて、“すてっぷくん”のダイヤ改正も行なわれ、4月5日(月)からは広丘駅東口及び西口に、すてっぷくんが乗り入れるそうです。(塩尻市HPの情報)




(西口のバス停。西口には、“すてっぷくん”だけでなく、朝日村営バスも乗り入れる。)


東口・西口とも、まだ真新しいバス停には、時刻表等の案内が一切無く、変わりに時刻表等の掲示枠には、購入時の案内が入ったままになっています(^^;






あいにく、“すてっぷくん”にはまだ縁が無く、乗車したことも車両をゆっくり観察したこと等もないので、あまり詳しく踏み込んだことは書けないのですが(^^;、運行開始から10年以上経ち、路線が当初に比べると随分増えたり、バリアフリー車の導入が進むなど、厳しい運行環境の中でもまずまず健闘しているのではないでしょうか。
“駅”という、バスにとっては乗客が見込める施設と接続することによって、“すてっぷくん”のますますの活躍を期待したいところです。


先日、長野バスターミナルの窓口の「川中島バス回数券表」に、160円の回数券 取扱始めました!!のPOPが掲示されているのに気がつきました。



(ちょうど飾られていた花に隠れてしまいましたが、160円券の行にPOPが掲示されています。)


川中島バスでは、昨年8月1日に運賃が改定され、一般の路線バスの最低運賃が(100円区間を除いて)150円から160円に値上げされましたが、これまでは160円の運賃を回数券で支払おうとすると、2枚以上の券種の組合せが必要でしたが、これを解消できる券種の回数券がようやく登場したことになります。
(もっとも、川バスより先んじて長野市内の路線バスの最低運賃を160円に値上げしていた長電バスからは、相変わらず160円券の回数券は発売されないままですが…)

この時はバスターミナルの窓口が閉まった後だったため、日を改めて長野駅前案内所でこの160円の回数券を買い求めてみたところ…



(初登場の「160円券×11枚綴り」の普通回数乗車券の表紙。ちなみに160円券は、まだ普通券のみの発売で、買物回数券には無いそうです。 ※ 画像を加工しています。



(券面は他の券種と同一デザインです(←当たり前ですね(^^;) ※ 画像を加工しています。





何と通し番号が01001番…、いつから発売が始まったか分かりませんが、ということは長野駅前案内所で売られた最初の1冊かもしれませんね(^^;
そういえば、駅前案内所には160円の回数券を取り扱うようになったことを知らせる掲示類が一切なかったため、PRが不足しているのかもしれません。川バスのHPの回数券の案内ページにも、まだ160円券のことは記載されていませんし…

ちなみにバスターミナルの窓口でも買い求めたのですが、こちらは01474番(別にナンバリングで174番の番号が打ってありました。)で、少なくとも1冊も売れていないということはないようです。やはりPOPの効果が出ているのでしょうか(^^;

私がよく乗る区間は、最低運賃区間ではないため、結局他の券種と組み合わせることが必要ですが(^^;、今後の乗車機会に合わせて使っていきたいと思います。


さる2月27日(土)に催行された「“赤バス”メモリアル号 旅ごよみ2月号」から、少しだけ過去を遡る旅の第3弾です。今回は、かつて使用されていたバスの施設の遺構を紹介いたします。


☆ ☆ ☆


松本駅を出発してから約1時間10分、生坂村に差し掛かったツアー一行は、山清路橋の手前でトイレ休憩を取りました。
長野方面に向かって左側、旧国道19号の道路敷きを転用したことが分かる形状の休憩所は、かつて長野方面から山清路まで運行されていた川中島バスの路線バスが折り返しに使用していました。





ここから先は、一時的に2号車のHIMR・10075号車が先頭で走ります。2号車から、走行している赤バスの前面が見えるようにとの配慮のようです。





新山清路橋を渡り、旧八坂村役場・広津方面からの道と合流、そして山清路橋を右にかすめると、まもなく国道19号はクランク状のカーブ、そして大きな左カーブと続きます。この左カーブを抜けたところが、「鷺の平」停留所で、かつては松本電鉄と川中島バスの路線バスが、それぞれ松本と長野からの路線バスの終点としていたところです。





国道左端に設けられている「鷺ノ平」の看板の向かい、車窓右手に空き地が見えます。
この空き地、かつてはバスの折り返しあるいは待機に使われていた場所のようです。





今は倒されてしまいましたが、以前はタイヤホイールと琺瑯の板を組み合わせた「当社管理地~川中島バス」的な看板が設けられていました。
(空き地の奥の方に、タイヤホイールの残骸等が見えます。)
その後、アルピコグループの経営再建が始まった頃、一時は「売地」の看板が出ていましたが、売れたのでしょうか??
それにしても、奥行きが無い空き地です。現在のような大型バスは入るとはみ出てしまいそうです(^^;





「鷺ノ平(さぎの平)」に乗り入れる大町市民バスと生坂村営バスのバス停看板。以前はもう一つ、信州新町からの町営バスの停留所もありましたが、路線が廃止され、停留所も撤去されてしまいました。

ところで、赤バスツアーの2台は生坂トンネルを抜けたため、生坂村の中心部を通らずに来てしまいました。
生坂トンネル手前からダムに沿って左に曲がり、旧国道19号を抜けていくと、生坂村役場の少し長野寄りに、池田町へ抜ける県道との分岐点があります。この傍に、生坂村営バスの車庫が建っていて、ここが「関屋下」という停留所です。





(つづく)


前回の記事で紹介した松本電鉄明科営業所に配置されている車両のことで、画像を整理していたらこんなものを見つけました(^^)
ちょっと赤バスツアーから横道に逸れますが、ご勘弁くださいm(_ _)m



(明科営業所配置の10518号車(1975年式のいすゞ+北村 BU10K)が上高地運用の応援に駆り出された時の様子です。隣に止まっているのも同型車だと思われます。)



「上高地」の方向幕がなかなかキマッています! 隣のいすゞLVは、1991年に投入された新製車ながら非冷房車です。)


いずれも1994年10月頃、新島々バスターミナル(上高地線新島々駅前)での撮影です。
この年の秋から、日野ブルーリボンHIMRの投入が始まり、今のハイブリッド王国が築かれるわけですが、その直前までこのような経年車も上高地運用に入ることがありました。ぶっとい字で書かれた方向幕、特に「上高地」の「高」が“ハシゴ高”になっているのも時代を感じさせてくれます。
当時の新島々営業所には、1991年に富士7E車体のいすゞLVが16台、1993年に西工車体のいすゞLVが10台投入され、それまで走っていたモノコック車を追放してしまったのですが、シーズン中に車両が不足したのか明科営業所のBU10Kが(少なくとも2台、)応援に駆り出されていました。


さる2月27日(土)に催行された「“赤バス”メモリアル号 旅ごよみ2月号」から、少しだけ過去を遡る旅の第2弾です。初回のアップ(3月18日)から早1週間、やっぱり不定期になりそうな予感がしてきましたが(^^;、気長にお付き合いいただければ幸いです。


☆ ☆ ☆

松本駅アルプス口を午前8時30分に発ち、途中松本北営業所(アルピコハイランドバス)でも参加者を乗せた後、国道19号を走るバスは明科駅前を過ぎ、国道19号とともに左折、今まで車窓左手に見え隠れしていた犀川を木戸橋で初めて渡ります。
松本駅からおよそ50分、木戸橋を渡ってすぐに右手に見えるホームセンター、その前の国道には左右ともに広いバスベイがあります。このホームセンターのある場所、1997年3月までは松本電鉄明科営業所があった場所なのです。



(赤バスの進行右手に見えるホームセンターが、松電バスの明科営業所跡です。)


古くは明科駅前にあったという明科営業所は、(旧)明科町を中心に、生坂村や(旧)穂高町、(旧)四賀村方面への路線などを担当していたようで、1994年当時の担当路線は、前回の記事にて紹介した犀川線、会田線、四賀線、そして季節路線の中房線などだったようです。
幹線(?)の犀川線を除いては、ローカル線ばかりを受け持っていたような感じがする明科営業所ですが、配置車両はそれなりに多く、1994年7月現在では路線車10台、貸切車5台の計15台が配置されています。

この営業所は、現役時代に何度か訪れて写真撮影をさせていただいており、その中からいくつか紹介いたします。




(ずらりと並んだモノコック車たち。三菱ふそうの貸切車が止まっている側が国道19号、路線車はいすゞのBUがまだまだ健在の時代。1995年2月頃の撮影。)



(赤バスからアルピコカラーに変更された1975年式・いすゞ+北村のBU10K。奥の庫内には赤バスの姿も。1994年10月頃の撮影。)



(新製配置の三菱エアロスターK(P-MP218K)。新しいバスながら非冷房車。1994年10月頃の撮影。)



(いすゞ+川崎車体のBU04。夏期の中房線(穂高駅~有明駅~中房温泉)の表示を出している。1995年8月頃の撮影。)



(貸切車5台のうち3台は旧塗装車。既に当時はあまり動いていない様子だった。手前の赤バスは1981年式の三菱K-MS615Sで社番は101(10101)。1994年10月頃の撮影。)



(こちらは銀バスの1980年式三菱K-MK116Hで社番は76(10076)。1994年10月頃の撮影。)


※ 以上の営業所構内での画像は、すべて許可をいただき、撮影させていただいたものです。



そして1997年3月、犀川線の廃止とともに明科営業所も廃止されました。年度が変わって1997年4月頃訪れた際は、誰も居ない構内に車庫の建物だけが佇んでいました。構内の隅には、犀川線のバス停が集められ、一層寂しさを感じさせてくれました。








※ 以上の2点の画像は、敷地外から撮影したものです。


【参考】 1994年7月現在の明科営業所配置車両
 469(松本22あ・373)いすゞBU10K 1974年(※ 赤バス)
 516、517、518(松本22あ・443~・445)いすゞBU10K 1975年
 852(松本22あ・622)いすゞBU04 1978年
 76(松本22あ・724)三菱K-MK116H 1980年(※ 銀バス)
 101、102(松本22あ・796、・797)三菱K-MS615S 1981年(※ 赤バス)
 551、552(松本22あ10-00、10-01)日野P-RU638AA 1985年
 861~864(松本22あ12-15~12-18)三菱P-MP218K 1988年
 901(松本22あ13-03)三菱P-MP218K 1989年
 (情報源:バスラマインターナショナルNo.25 株式会社ぽると出版 1994年8月)


(さらに不定期につづく(^^;)


春分が過ぎ、朝は6時前から、夕方も6時過ぎまで明るくなった今日この頃です。
今年の3月は、長野市ではなかなかスッキリ晴れてくれる日が無く、曇ったり雨が降ったりする日がやたらと多いような気がしますが、それでも真冬に比べると手袋が要らなくなった、上着の前を開けていても外を歩ける~という日が確実に増えてきています。

昼の時間が長くなって嬉しいのは、仕事帰りにちょっと気になる車両を撮影…なんていうこともできるようになることです(^^;
先週金曜日(19日)は、知り合いとの約束があったため、会社を定時で早々に上がり、少し早めに長野駅前に行ってみました。

お目当てはこちら。




1月末から運行を開始したハイブリッドノンステップバス・41007号車[16]系統・若槻団地線運用です。
平日の運用では、知る限りでは若槻方面へ入るのは夕方のこの1本だけではないかと思われます。
この便がようやく明るいところで撮れるようになりました(^^)
(ピントが側面に合ってしまい、顔がブレてしまいましたが…orz)


長野駅発1740(始発は大塚南です)~若槻営業所到着後は、宇木へ回送し、宇木~日赤線を1.5往復して大塚南へ入庫するという運用が基本です。





♯これからはまた、カバンにカメラを忍ばせて出かける日が多くなりそうです(^^;


3月20日(土)に、川中島バスのパンダエアロを撮影しに長野駅東口へ赴いた際、こんな車両も撮影することができました。


「急行・野沢温泉」行きの1832号車と…



「急行・蓮池」行きの1852号車です。



長電バスが運行する、長野駅東口から志賀高原や野沢温泉方面へ向かう急行バス用の貸切転用車ですが、2台とも同型(三菱+呉羽のU-MS726Sで、1832は平成3年車、1852は平成4年車。)で、かつ登録ナンバーが川バスのパンダエアロとそれぞれ1番違いという面白い共通点があります。

当然、川バスのパンダと同じだけの歳を取っているわけですが、こちらはまだまだ元気に活躍するのでしょうか??
以前は活躍していた平成元年車の1690番前後の車両や、平成2年車の1740番台の車両をいつの間にか見かけなくなっていることや、平成5年以降のニューエアロバスの1930番台、2000番台の車両だけでなく、経年の浅い車両がどんどん急行バス運用に入り始めていることから判断すると、いずれ近いうちに引退ということになるのかもしれません。

ところで、全国的に見てこのデザイン(呉羽車体)のエアロバスって珍しいのでしょうか。
パンダエアロばかりが話題になって、こちらはひっそり消えていく…そんなことになってしまうのかもしれませんね。


3月14日の記事で、長野駅東口に待機する2台のパンダエアロこと41831号車及び41851号車のことを記事にしましたが、一週間後の3月20日も同じことが起こるのではないかと期待し、この日は朝から長野駅東口に繰り出してみました。
(3連休の初日ということもあり、14日以上にお客さんは多いだろうということで、かなり増車対応が期待できる日だと踏んだので…)


特急バス・長野~白馬線の始発便(8時20分発)が長野駅東口を出発する少し前、8時10分頃にまず41851号車、そして続いて41831号車の順で、2台が東口に姿を現しました。今日も増車の声が掛かるまで、ここで待機するのでしょう。



(まず顔を見せたのは41851号車。道路反対側には、この後東口8時20分発の便の2号車になる42089号車が待機中。その他、志賀高原方面等への長電バス、スキー場やホテルの無料送迎バス、東京方面へのツアーバスなどでごった返しています。)



(続いて41831号車が登場。既に行先は特急 白馬駅・八方」を表示。)



(2台続けて止まるかと思いきや…タクシーが間に入ってしまって残念orz)


午前8時20分発の始発便は、増車1台が出たものの、1号車・42088号車、2号車・42089号車の順に出発したため、まずは2台の出番はありませんでした。

次は9時10分発です。この便は、東京を7時台に出る新幹線が長野に到着するのが9時少し前であるため、乗り継ぎのお客さんで一番混む便だそうで、弥が上にも増車の期待が高まります。

その時を今か今かと待っていると、8時40分頃になって1台のバスが東口の向こうの道路に止まったのが見えました。丸っこいデザインのテールが見えたのでもしやと思って行ってみると…





川中島バス最古参の45622号車です!

パンダ2台だけではく古強者の登場は、今日が如何にバスの需要の高い日かを表わしているようです。
朝一番に白馬を発つ便の2号車として(ちなみに1号車は45411号車でした。)、或いは長野発の増車対応のための送り込み回送として、長野にやってきたようです。


止まっている側に渡って45622号車に近づくと、ちょうど運転手さんが戻ってきたところでした。
「動くんですか?」と尋ねると、「9時10分の2号車で出るよ」とのこと。
何とパンダを差し置いて、先に増車のお声が掛かったようです。



(いつの間にか2台連なって止まっているパンダ2台の脇を…)



(何と、乗り場へ着けるための入換えで、45622号車が走り抜けていきました。)




(朝一番の白馬発で長野にやってきていた45411号車が、折り返し9時10分発の便の1号車です。)



(1号車を少し早くバス乗り場から出した後、2号車の45622号車がお客さんを乗せていきます。後ろは9時20分発の妙高高原行きの42040号車です。)



(2号車の45622号車は所定より数分遅れて出発していきました。)


そして溢れんばかりのスキー場を目指すお客さんは、その後も増え続け、ついに9時10分の便に3号車を出すことに決まったようです。乗り場の近くで聞いていると、栂池・乗鞍方面まで乗るお客さんは2号車まで、八方までに下車するお客さんは3号車に乗車するようにと、凡その降車停留所別に分乗させているようです。



(3号車にやってきたのは41851号車です。)



(1号車に遅れること約10分、“八方止まり”の3号車・41851号車出発!)


☆☆☆☆☆

その後、41851号車は、八方でお客さんを降ろした後、とんぼ返りで長野に戻ってきました。そのまま大塚南の本社へ帰るのかと思いきや、まだ増車対応があるのかそのまま東口に留まっていました。



(長野駅東口を発ってからおよそ2時間後の11時30分過ぎ、41851号車が回送で戻ってきました。)



記事の時系列が前後してしまいましたが、21日に“卒業式”が行なわれると聞いては、パンダが普段どおり運用に入ること自体が特別なもののように思えてしまいます(^^;
“卒業式”後に2台とも即廃車!ということにはひとまずならないようですが、2台が揃って運用に入ったり、まして同じ場所で顔を合わせることは、今後はグッと減るのではないでしょうか。とは言え、2台のパンダができるだけ長く活躍してくれることを期待したいところです。
(もちろん大町営業所の45620・45622号車の2台も末永く頑張ってもらいたいものです。)


今日は、川中島バスによる“パンダエアロの卒業式”と題したバスツアーが行なわれました。
このツアー、先月末の赤バスツアーに参加した際に案内をいただき、参加したい気持ちで一杯だったのですが、この日は(人として)どうしても外せない用事があり、止む無く参加を断念した次第ですorz

しかし、一目みたいという気持ちだけは抑えられず(^^;;;、用事の合間を縫って、お見送りとお迎えだけは行ってきました。


午前7時50分、長野駅東口。










既に5番乗り場には41851号車が待機していました。参加される方たちの中には顔なじみの方も多く、久しぶりの再会に話も弾みます♪



(側面の方向幕にも外からツアー用のスペシャル表示が貼り付けられ、また今日はツアーのため、「貸切」表示がしっかり掲出されています。)


このツアー、当初は2台使用の80名募集と謳っていましたが、聞くところによると参加を申込みされた方はおよそ20名ほどとのこと(最小催行人数ギリギリだったようです(^^;)で、車内はだいぶゆったりとした感じのようです。

午前8時、白馬方面へのお客さんがチラホラ見え始めてきた頃、パンダは出発していきました。



(東口を発ち、まずはABN前交差点への慣れた道をゆっくりと進む41851号車。)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



日中は時々、ツアーが今どの辺りを回っているか思いをめぐらしながら、夕方になるのを待ちます。


午後4時50分、再び長野駅東口。




(長野駅東口に帰ってきた41851号車。行先表示は「団体」になっています。)


一日のツアーを終えたパンダは、無事に東口に帰ってきました。
聞けば春の嵐の影響か、白馬方面はかなり強い風が吹いて雪も降っていたとのことで、皆さん本当にお疲れさまでした。



(長野~飯田線に入るような時は、送り込みでこんな運用もあったのでしょうね。)



(どんなところで使ったのか、こんな表示も入っています!)


最後に川バスのスタッフの方のサービスにより、少しだけ幕回しを見させていただき(感謝です!!)、パンダはもとい大塚南の本社へと帰ってきました。




(最後は「定期観光バス」表示のまま、帰っていきました。長い間お疲れさまでした!!



次回のツアーは、ぜひ参加したいと思います。また期待しています!


※ “ラストラン(チラシの表記)”や“卒業式(ツアー名称)”と謳ってはいますが、ツアーに参加された友人から聞いたところ、これが完全なラストランではないようです。白馬線の本数が減る夏ダイヤへの移行まではもうしばらくありますし、代替で何らかの車両が投入(転用?)される必要もあると思われますので、それまでの経過措置としての存置でしょうか。いずれにしても、最後の最後まで、頑張って走り続けてほしいものです。



今日の長野は、春を通り越して汗ばむほどの陽気になりました。
春休み中の3連休とあって、長野駅東口のバス乗り場は、朝からスキーやスノーボードのお客さんで溢れ返っていました。
白馬方面の川中島バス、志賀高原・野沢温泉方面等の長電バスともに増車増車で対応し、大勢のお客さんを運んでいました。

その様子はまた改めて記事にしたいと思いますが、また過去画像からこんなシーンを…





いよいよ明日に“卒業式”が迫った川中島バスのパンダエアロの41831号車です。パンダこと三菱エアロクイーンは、川バスだけでなく、高速バス用としてアルピコ3社ともに配備があったのですが、何れも既に引退していると思われ、最後まで残存しているのが川中島バスということになります。

この画像を撮影したのは1994(平成6)年8月で、場所は松本バスターミナル裏の高速バス降車場です。新車として配備されてからまだ3年ソコソコの頃で、後部トイレ付きの36人乗り仕様の頃だと思われます(あいにくガラスに周囲の景色が反射して、車内の様子が全く分かりませんが…(^^;)。
この当時は、どちらかというと新宿線向けに使用していたのだと思うのですが、この日はなぜか長野~松本線に使われていました。この画像の直前まで、長野市内の鉄道やバスの様子が撮影されていますので、恐らく長野からこの車両に乗って、当時住んでいた松本に帰ってきたんだろうと思います。

余談ながら、パンダの後ろに停車している定期観光バス(半分切れていますが…(^^;)もまた、時代を感じさせる車両を使用しています。バスガイドさんの制服も、当時は今と違うデザインだったのですね。


今では方向幕を装備する車両が数えるほどにまで減ってしまった川中島バスの車両ですが、方向幕が行先表示器の主力だった頃は、車両ごとに1つ1つ違うのではないかとさえ思わせてくれるほど、とにかく内容や仕様がバリエーション豊富でした。

そんな中で、アルピコ仕様の青地の幕に変わってからの時期を対象としてみた時、特に特徴的だった車両を挙げるとすると、まずはこの車両でしょう。



(2003年8月、西河原にて。当時は、BT~末広町~昭和通り~県庁前~BTとグルッと回って小市団地へ戻っていく便もあり、“小市循環線”と呼ばれていました。)


2001年に自社発注(+補助金)により導入された40148号車と40150号車は、当初装備していた方向幕の地色が、他の車両よりずっと濃い青で、紫や藍色に近いものでした。また、系統番号や行先の書体もこの車両独特のもので、私の中では珍方向幕車両の筆頭です。
(側面も、この当時は行先しか書いていない車両が多かった中で、一部を除いてきちんと経由地が書かれた内容のものでした。)

この方向幕には、新町線、高府線、小市線、日赤線、犀北団地線、大豆島線、北屋島線、東通り線、善光寺線など限られた路線のものしかなく、汎用性が低かったためか、僅か数年(2004年頃?)で一般的な青地の幕に交換されて、見ることができなくなってしまいました。
(さらに本社移転を控えた2005~6年ごろにLEDに交換され、方向幕ではなくなってしまいました。)



(赤バスツアーの連載記事を始めた傍から、小ネタでお茶を濁してスミマセンm(_ _)m)


さる2月27日(土)に催行された「“赤バス”メモリアル号 旅ごよみ2月号」に参加したのですが、ツアーレポを書きたいな…と思いつつ、なかなかその“ずく”が無くて(^^;、もうすぐひと月近く経とうとしています。
時系列順に、ここを回ってこんなものを見て…という方法では、すでに一緒に参加された方が記事にされていたりするので、2番煎じになってしまいますorz

何か面白い書き方は無いか…と考えた末、ツアーの行程を、過去の画像との対比で10~20年ほど前を振り返ってみるのはどうかという結論に辿り着きました(^^; 完全な定点観測ではないので、単純比較はできないのですが、それらしい雰囲気の画像を交えながら、ツアー様子と懐かしい過去を行ったり来たりしながら振り返ってみたいと思います。



(松本駅アルプス口に現れた赤バスとHIMR。一番右の貸切車は、赤バスに万が一のことが生じた際の伴走車かと思ったら関係無かったというオチ(^^;)


まずはツアーの出発点に立っておきたいと思います。
出発点は松本駅アルプス口です。かつて松本駅西口と呼ばれたこの場所は、松本市の都市計画事業の末に松本駅舎とともに見違えるような立派な駅前に生まれ変わりました。赤バスが現役だった頃、西口は乗用車を乗り着けるのがやっとの場所で、大型バスが乗り入れるなど夢のような話でした。



(1号車=赤バス10480号車、2号車=HIMR10075号車、この2台で長野市を目指します。)


午前8時30分、赤バスこと10480号車と、2号車の10075号車が連なって、ここ松本駅アルプス口を出発、渚1丁目の交差点からはひたすら国道19号で長野市を目指します。

国道19号を走る松本電鉄の路線バスは、現在でも空港・朝日線が僅かな区間を走っていますが、かつては松本バスターミナルから明科駅を経由して、東筑摩郡生坂村の山清路(さんせいじ)までの路線バス・犀川線が走っていました。さらに、そこから信州新町を経由して、長野市の善光寺大門までの路線バス(現在の川中島バス[26]系統・新町線のルーツである路線です。)も走っており、路線バスを乗り継いで松本から長野へ行くなんていうこともできた時代があったのです。

最初に振り返ってみるのは、“犀川線”の路線バスです。
過去の画像をひっくり返してみたところ…データとして使えるものが1枚だけ発見できました(^^;



(明科駅前に停車する犀川線関屋下行きの路線バス。この便は山清路まで行かずに、生坂村役場近くを終点とする区間便で、1994年10月頃の撮影と思われます。車両は松電オリジナル車のエアロスターK・10862号車。1991年車まで、松電では自社発注の路線バスに冷房を搭載していなかったので、1988年車のこの車両も当然非冷房です(^^;)


ちなみにこの犀川線、約20年前のダイヤはこんな感じでした。
【松本→山清路・平日ダイヤ】(1991年5月現在)
松本BT発 8:05(関)、9:15(明★)、10:45(関)、12:20(関)、13:55(山)、15:40(明★)、16:45(山)、17:50(明★)、18:30(明★)、20:15(明)
〔凡例〕明:明科駅前止、明★:明科駅前止、明科駅前で山清路行きに接続、関:関屋下止、山:山清路行
※ この他に、明科駅前等を始発とする区間便の運転あり。
《所要時間》松本BTから田沢駅前まで25分、明科駅前まで37分、関屋下まで1時間、山清路まで1時間10分


不定期につづく(^^;)


昨年春に新車で登場し、主に長野市の廃止代替路線バスである[48]系統・金井山線及び[130]系統・松代~篠ノ井線で使用されているノンステの中型車・40913~40915号車。
登場以来、各車両とも基本的に担当する運用が固定され、検査代走でもなければ違う車両が見られることは無かったはずなのですが、最近は検査でもなさそうなのにコロコロと運用変更が行なわれているようです。

朝に見かけることが多い松代高校発715⇒長野BT着818の金井山線は、基本的に40913号車が使われてきました。
ところが、最近見ると、違う車両が入っていることが多く、こんな感じになっています。

3/2(火) 40915号車
3/3(水) 40913号車
3/4(木) 40914号車
3/5(金) 40914号車
3/11(木) 40914号車
3/15(月) 40914号車
3/17(水) 40914号車


ここ最近の傾向として、40914号車が入ることが多いようですが、ひょっとすると車両の走行距離を均一化するために、運用をローテーションしたのかもしれませんね。
(最近は、夕方~夜の運用を見る機会が無いため、丸々運用が変わってしまったのかどうかまでは分かりませんが…)



※ 何も画像が無いもの寂しいので、過去に撮影した3台の画像でも…



廃止代替トリオの中では唯一のいすゞ車(エルガミオ)の40913号車。



40914・40915号車は、日野のレインボー2。



夜にも松代温泉経由が登場!? いえいえ、単なる表示違いです。この後ちゃんとした表示に変わりました(^^;



前回の記事で、「ローカルバスの終点へ」のルートである平岡~和田~程野間(天龍村~旧・南信濃村~旧・上村)を辿り終えたところですが、終点の“程野”停留所に着いたところで、妙なものを見つけてしまいました。

それがコレです(↓)。




一見、信南交通には有り触れたデザインの普通のバス停看板ですが、社名の“信南”のところだけ、赤いペンキの色が周りと異なっています。
さらに、よ~く目を凝らしてみると、その下には“伊那”の文字があるように見えるのです(↓)!!






昔は、“程野”の停留所を通る路線バスは、伊那バスの運行だったとでも言うのでしょうか!?


ここで、ちょとだけ伊那バスの歴史を紐解いてみることにします。
伊那バスは、
1919年 : 伊那自動車株式会社として創業
1945年 : 信南交通株式会社に統合(戦時統合)
1949年 : 信南交通株式会社から分離・独立
1975年 : 社名を「伊那自動車株式会社」から「伊那バス株式会社」に改称

という経緯を辿っています。
1945年に戦時統合により木曽・伊那地方のバス会社4社を統合した際に、一時的に「信南交通」となっていた時期がありましたが、1949年の経営分離の際、上伊那地方を運行エリアとするバス会社として独立しています。

つまり、下伊那地方である“程野”の停留所を通る路線バスは、ずっと信南交通の運行である(少なくとも、伊那バスの運行であった時代は無い!?)ということであり、このバス停看板の社名書き換えの根拠とはなり得ない気がします。
もっというと、信南からの分離・独立が行なわれた1949年以降1975年までは、「伊那自動車株式会社」を名乗っており、バス停看板の社名とも異なります。

それでは、いったいどういう事情があって、このバス停の社名が書き換えられているのでしょうか。
一つ、オチとして考えたのは、程野ではなく全然別の場所にあった伊那バスのバス停看板を、停留所名ごと書き換えた上でここまで持ってきた-ということです。
詳しく調べたことは無いのですが、会社が統合されていた時代があったからか、両社のバス停看板のデザインは非常に良く似ている(シンプルですので、似ているも何も無いのかもしれませんが…(^^;)ような気もするのです。
でも、現在は別々の会社である2社の間で、バス停看板の融通なんてするものなんだろうか…という別の疑問が沸いてきました。


真相はどうなのでしょうか。
どなたか、詳しい経緯をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示くださると幸いですm(_ _)m



またしても飛び飛びになってしまったこのシリーズですが、今回は最終回の“その6”をお届けします。
(参考までに、“その1”は2月19日、“その2”は2月21日、“その3”は3月2日、“その4”は3月7日、“その5”は3月10日に掲載しています。カテゴリで、“信南交通”とソートしていただければ、これまでの記事を順にご覧いただくことができます。)

前回の記事で紹介した、通年かつ終日片側交互通行の“浦の沢トンネル”を抜けてからおよそ10分、旧・南信濃村中心の和田営業所から30分の距離にあるのが、ここ“程野”の停留所です。かつて、三遠南信自動車道(国道474号)・矢筈トンネルが開通する前は、ここが平岡・和田からの路線バスの終点であり、故・宮脇俊三氏がその著書「ローカルバスの終点へ」で目指した終点でした。

当時は、ここから交通機関を使って飯田の街へ行くには、これまで辿ってきたルートを逆に平岡までバスに乗り(乗り継ぎ時間を考慮しない所要時間が約1時間)、平岡駅から飯田線に1時間以上乗らなくてはなりませんでした。つまり、通勤、通学や通院ができるような場所ではなく、ともすると日帰りするのにさえ相当な時間的制約を受けていたことだろうと思います。それが、1994年に矢筈トンネルが開通したおかげで、程野~飯田市街がバスで約1時間にまで短縮されたのです。

路線バスの終点だったとはいえ、元々国道152号が南北に貫いている場所(このまま北へ向かうと、大鹿村境の地蔵峠手前で車道としては途絶(未整備区間)していますが…)だったため、終点らしい閉塞感はなく、道路端に待合小屋とバス停が1つ(本数の都合か乗客の流れる方向ゆえか、飯田方面側の停留所で上下のものを兼ねているようです。)ポツンと建っている状態です。ここでバスが折り返していた当時、どのようにバスが転回していたかは、分かりませんでした。
(交通量もそれなりですので、やろうと思えばどこででも転回できそうですが…(^^;)




(小奇麗な印象の程野停留所と待合小屋。屋根の道路側には、「三遠南信遠山郷線バス停留所 上村・程野」の文字が。)



(屋根の側面には、都会チックなバス停のアイコンが描かれており、設置場所とのミスマッチが何となく微笑ましい(^^;)



(程野停留所の近くには、国道沿いに家や小さいながらも会社が並ぶ。向こうが矢筈トンネル方面。)



(振り返って上町・和田方面を望むと、上村川の対岸に新しい橋脚が立ち並んでいる。将来の道路改良の先行投資であろうか。)



(国道の改良もかなり進んでおり、一部を除いては比較的走り易くなっている。この場所に道幅20m、片側2車線の高速道路が必要か、些か疑問であるが…)



さて、これで「ローカルバスの終点へ」のルートを辿る目的は達せられましたが、折角ですので、矢筈トンネルへと足を進めてみたいと思います。
“矢筈トンネル”は、飯田市の隣村の喬木村と旧・上村(現・飯田市)にまたがる全長4,176mのトンネルで、1994年3月に国道474号として開通しました。将来的には、三遠南信自動車道に転用されることを前提に建設されたのが特徴で、暫定2車線の供用ながら高速道路と同規格で建設されています。
このトンネルの前後には、やはり将来的に高速道路と一般道の連絡路となる予定の“喬木インター”“程野インター”が設けられ、特に喬木インターは山中に林立する道路の橋脚と、建設途中で山にぶち当たって終わっている本線が印象的です。




(矢筈トンネルの喬木インター側入口。)



(高架の右下には、矢筈トンネル開通以前に赤石トンネルを越えて上町の集落へと抜けるのに使われていた県道251号(上飯田線)が見える。(※ 道路は今も現役です。))



(三遠南信道予定区間はここで終わり。この先の高架は山肌にぶち当たって終わりのため、全車インターのループを下りて行かなくてはならない。)



(画像中央の高架は将来、飯喬道路として天竜峡インターからの道路と接続される予定であるが、現在は山肌に当たったところで建設が終わっている。)



(山中に林立する橋脚、そして大きく弧を描いて上り下りするインターのループ。ここだけ異空間の雰囲気満点。)



飯田行きの路線バスは程野から先、“小沢橋”という停留所を通った後、程野インターから矢筈トンネルに入り、一気に喬木村へと下りていきます。小沢橋から先は、喬木村の“近藤商店前”の停留所まで約18分間、途中にバス停はありません。
“近藤商店前”から先、飯田市街まではあと約40分です。


(おわり)


昨日(13日)のお昼過ぎ、所用を終えて後の移動中に長野駅東口を通りかかったら、ロータリー前の通りにパンダエアロの41831号車と41851号車の2台ともいるのが目に留まりました。
週末の特急バス・長野~白馬線の需要増に備えて増車の待機でもしているのでしょうか、2台とも「ALPICO」幕のまま中央分離帯を挟んで顔を突き合せるように止まっていました。

みすずかるさんが長野に来られているので早速連絡を取ってみたところ、2台とも朝から待機しているとのこと。どうやら半日もの間、声がかかるのを待っているようです。その時の時間から、東口発1310の白馬行きに使われるかもしれないと思ったのですが、それも後に伺ったら41948号車がやってきて出発したとのことで、今日は出番無く本社に帰されたのでしょうか。
みすずかるさんのブログの記事の写真を拝見しますと、2台とも朝とは停車位置が変わっていますので、途中で何らかの事情があって移動したようですが…)


♯来週末にはラストランのイベントが待っているこの2台は、最後の最後まで普段どおりの仕事に勤しんでいるようでした。
(…って、増車待機が仕事のような…(^^;)



(東口に憩うパンダエアロ2台。手前右側が41831号車で奥左側が41851号車。)



(冷たい雨が降る中、じっと声がかかるのを待つ41831号車。)



(待機中のパンダエアロ2台。道路向こう側、41851号車の後ろは妙高高原行きの42037号車。)



大糸線のキハ52型による最後の列車が南小谷駅を出てから3時間が経ちました。
日が変わって今日、3月13日(土)から大糸線・南小谷~糸魚川間の列車は、新しいキハ120型車両によって運行されます。

私は結局、3両のキハ52型が国鉄色に戻されてからの大糸線は、1度だけ車で沿線を通ったことがあるくらいで、ゆっくり乗ったり撮ったりすることなく終わってしまいました。
一時期、大糸線沿線に住んでいたこともあって、日本海側へ旅行に出る際は、よく“青春18きっぷ”などを手に乗ったことがありましたが、最近は完全に足が遠のいてしまっています。

ところで、大糸線、とりわけJR西日本が経営する南小谷~糸魚川間において、忘れられない出来事といえば、1995(平成7)年7月11日の水害でしょう。この水害により、大糸線の白馬~根知間は、長期運休を余儀なくされ、特に南小谷~小滝間は、1997年11月29日の運行再開まで、2年4か月以上にわたって列車の走れない状態が続きました。
この期間中は、市販の時刻表等には「水害により不通」とだけ記載され、大糸線は、松本~南小谷間と小滝~糸魚川間だけが運行中であると案内されていました。
しかし、僅かとは言え、沿線に住む方たちの大切な足として大糸線は必要な存在でした。そこで、大糸線沿いに通っている国道148号線が復旧したことに併せて、1996年1月からは列車代行バスが運行されました。ただしこのバスは、飽くまでも沿線の方たちの足の確保を目的とした運行であるため、市販の時刻表等にはいっさい案内されていませんでした。

1997年4月、この代行バスのことを耳にした私は、ダメ元で大糸線に乗り、南小谷へと向かいました。南小谷駅で電車を降りると、駅前で待っていたのは「列車代行」の方向幕を掲出した松本電鉄のバスでした。運転手さんに尋ねると、「そんなにお客さんの多い日ではないので、運賃さえ払ってもらえれば乗っても構わない」とのことだったので、小滝駅まで乗せていただくことにしました。




(南小谷駅前で発車を待つ大糸線列車代行バス。訪れた日は松本電鉄の10128号車が使用されていました。この車両は、1991年夏に上高地向けに新島々営業所に10台が配属されたうちの1台ですが、その後の同営業所への低公害車(HIMR)の投入により第一線を退きました。実はこの車両、登場当時は“非冷房車”だったのです。同年車の10150代の車両が冷房改造されて現役であるのに対し、10120代の10台は、冷房改造を受けることなくいつの間にか松電からも引退してしまいました。)



(代行バスの側面に表示されたサボ。)



代行バスは僅かな乗客を乗せ、途中、ときどき国道を逸れて大糸線各駅のできるだけ近くに立ち寄りながら、鉄道の営業キロで20キロあまりのところを1時間かけて走りました。




(小滝駅に到着した代行バス。背後の山では復旧工事が行なわれている様子です。)


小滝駅に着くと、糸魚川行きの列車が待っていました。当時は、ホワイトの車体にグリーンのラインが入った塗装のキハ52型でした。どうやらこれが、キハ52型をきちんと撮影した最後の機会だったようです。




(小滝駅で待っていたのは1両だけのキハ52 116。この車両は2002年ごろまで大糸線で活躍した後、富山・高岡方面で使用され、2003年ごろに廃車されたそうです。)



(車両の手前側が糸魚川方面、奥が南小谷方面。車両の陰に僅かに写っていますが、小滝駅の南小谷寄りの線路には、しっかりと車止めが設けられ、この先が不通区間であることを物語っていました。)



(当時は上下列車の交換ができ、側線まであった小滝駅。現在はホーム左側に僅かに写っている線路と、側線は撤去され、列車交換などができない棒線構造の配線になってしまったそうです。)



(時は1997年4月-ちょうどJR発足後10年が経過した頃で、キハ52の車両側面には、このようなステッカーが貼ってありました。まだ500系も「のぞみ」の主力車両の一つとして活躍していた頃です。)



その後、糸魚川へ抜けたのか、またバスで南小谷へ戻ったのかは記憶が定かではありませんが、不通区間を走る代行バスに乗るという貴重な経験をさせていただくことができました。

ちょうど古い手帳から、当時の代行バスの時刻表を書き写したものを見つけました。
「住民のみなさまへ」という掲示だったと記録していますが、運行当時からもう13年経過していますので、最後にそれを紹介いたします。

【大糸線代行バス~住民のみなさまへ】
 南小谷600-中土609-北小谷620-平岩641-小滝700
 以降、南小谷発720、1135、1710 の計4本

 小滝558-平岩617-北小谷634-中土645-南小谷651
 小滝715-平岩734-北小谷755-中土806-南小谷815
 以降、小滝発1322、1845 の計4本



私が乗車したのは、恐らく南小谷駅発1135の小滝駅行きだったと思うのですが、このバスを含めて3往復は松本電鉄の担当、小滝駅発558~南小谷駅発720の一往復は、新潟県側の事業者である頚城自動車(系列の会社?)のバスだったと聞いています。


長期にわたり大糸線の運行を支えたキハ52型への労いと、新たに配属されるキハ120型により、大糸線の未来が少しでも明るいものとなることを願いつつ…


ようこそ「コルチナ国際スキー場」へ…
今晩の最終長野~白馬線は、環境にやさしく、乗り降りしやすい最新型のこちらの車両でご案内しま~す バキ☆\(--メ







「特急バスにもハイブリッド車!?」
(2010.2.27 “赤バス”メモリアル号旅ごよみ2月号の道中、川中島バス本社構内にて撮影させていただいたものです。)
※ 実際には、この車両による特急バス・長野~白馬線の運行はありません。


※ おまけ



きちんと側面表示まで用意されているところが何とも…(^^; でもこの車両、座席定員が少ないし、スキーヤー・スノーボーダーなどの大荷物を積みきれないという話が…(^^;;; そもそもどっかでお腹を擦りそうですし。
そういえば、一昔前は元山陽電鉄のCQAなんかが「白  馬」とか表示して長野~白馬線を走っていましたね。そう考えれば、何かの弾みで40990号車あたりがこの表示を出して、オリンピック道路をかっ飛ばす姿が絶対に見られないとも言い切れないわけで…




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