2010/03/27
【松本電鉄】 “赤バス”メモリアル号 旅ごよみ2月号 (3)
さる2月27日(土)に催行された「“赤バス”メモリアル号 旅ごよみ2月号」から、少しだけ過去を遡る旅の第3弾です。今回は、かつて使用されていたバスの施設の遺構を紹介いたします。
☆ ☆ ☆
松本駅を出発してから約1時間10分、生坂村に差し掛かったツアー一行は、山清路橋の手前でトイレ休憩を取りました。
長野方面に向かって左側、旧国道19号の道路敷きを転用したことが分かる形状の休憩所は、かつて長野方面から山清路まで運行されていた川中島バスの路線バスが折り返しに使用していました。
ここから先は、一時的に2号車のHIMR・10075号車が先頭で走ります。2号車から、走行している赤バスの前面が見えるようにとの配慮のようです。
新山清路橋を渡り、旧八坂村役場・広津方面からの道と合流、そして山清路橋を右にかすめると、まもなく国道19号はクランク状のカーブ、そして大きな左カーブと続きます。この左カーブを抜けたところが、「鷺の平」停留所で、かつては松本電鉄と川中島バスの路線バスが、それぞれ松本と長野からの路線バスの終点としていたところです。
国道左端に設けられている「鷺ノ平」の看板の向かい、車窓右手に空き地が見えます。
この空き地、かつてはバスの折り返しあるいは待機に使われていた場所のようです。
今は倒されてしまいましたが、以前はタイヤホイールと琺瑯の板を組み合わせた「当社管理地~川中島バス」的な看板が設けられていました。
(空き地の奥の方に、タイヤホイールの残骸等が見えます。)
その後、アルピコグループの経営再建が始まった頃、一時は「売地」の看板が出ていましたが、売れたのでしょうか??
それにしても、奥行きが無い空き地です。現在のような大型バスは入るとはみ出てしまいそうです(^^;
「鷺ノ平(さぎの平)」に乗り入れる大町市民バスと生坂村営バスのバス停看板。以前はもう一つ、信州新町からの町営バスの停留所もありましたが、路線が廃止され、停留所も撤去されてしまいました。
ところで、赤バスツアーの2台は生坂トンネルを抜けたため、生坂村の中心部を通らずに来てしまいました。
生坂トンネル手前からダムに沿って左に曲がり、旧国道19号を抜けていくと、生坂村役場の少し長野寄りに、池田町へ抜ける県道との分岐点があります。この傍に、生坂村営バスの車庫が建っていて、ここが「関屋下」という停留所です。
(つづく)
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松本駅を出発してから約1時間10分、生坂村に差し掛かったツアー一行は、山清路橋の手前でトイレ休憩を取りました。
長野方面に向かって左側、旧国道19号の道路敷きを転用したことが分かる形状の休憩所は、かつて長野方面から山清路まで運行されていた川中島バスの路線バスが折り返しに使用していました。
ここから先は、一時的に2号車のHIMR・10075号車が先頭で走ります。2号車から、走行している赤バスの前面が見えるようにとの配慮のようです。
新山清路橋を渡り、旧八坂村役場・広津方面からの道と合流、そして山清路橋を右にかすめると、まもなく国道19号はクランク状のカーブ、そして大きな左カーブと続きます。この左カーブを抜けたところが、「鷺の平」停留所で、かつては松本電鉄と川中島バスの路線バスが、それぞれ松本と長野からの路線バスの終点としていたところです。
国道左端に設けられている「鷺ノ平」の看板の向かい、車窓右手に空き地が見えます。
この空き地、かつてはバスの折り返しあるいは待機に使われていた場所のようです。
今は倒されてしまいましたが、以前はタイヤホイールと琺瑯の板を組み合わせた「当社管理地~川中島バス」的な看板が設けられていました。
(空き地の奥の方に、タイヤホイールの残骸等が見えます。)
その後、アルピコグループの経営再建が始まった頃、一時は「売地」の看板が出ていましたが、売れたのでしょうか??
それにしても、奥行きが無い空き地です。現在のような大型バスは入るとはみ出てしまいそうです(^^;
「鷺ノ平(さぎの平)」に乗り入れる大町市民バスと生坂村営バスのバス停看板。以前はもう一つ、信州新町からの町営バスの停留所もありましたが、路線が廃止され、停留所も撤去されてしまいました。
ところで、赤バスツアーの2台は生坂トンネルを抜けたため、生坂村の中心部を通らずに来てしまいました。
生坂トンネル手前からダムに沿って左に曲がり、旧国道19号を抜けていくと、生坂村役場の少し長野寄りに、池田町へ抜ける県道との分岐点があります。この傍に、生坂村営バスの車庫が建っていて、ここが「関屋下」という停留所です。
(つづく)