2011/02/25
【長野電鉄】 お疲れさま、2000系D編成
今日、2月25日(金)の下りB特急・23B列車をもって、2000系D編成が定期運行から離脱します。尤も、2月13日(日)のダイヤ改正から今日までの運行は、2100系「スノーモンキー」が本格稼働するまでの“代走”という位置づけでしたから、正しくは2月12日(土)をもってA編成もD編成も定期運行は終了していたと言ってもいいのかもしれませんが、とにかく毎日決まった時刻に見られるD編成は、今日が最後です。
本当は、23B列車に乗車するか、少なくとも見送りにくらいは行きたいなと考えていたのですが、既に紹介したとおり崩した体調の回復が思わしくなく、断念せざるを得なくなりました。
D編成には、どうか最後まで無事に走りきってほしいと願うと共に、悪足掻きのようですが、まだ夏までは車籍も残り、イベント運行等の機会も残されているようですので、その時にD編成の元気な姿に再会できるのを楽しみにしておきます。
昭和39年の登場から47年間にわたる活躍、お疲れさまでした…
40‰の勾配を登りきった先は、長野電鉄の終点・湯田中駅。昭和2年に開業以来、湯田中周辺の温泉郷の、あるいは志賀高原、さらには白根火山、長野原方面への観光ルートの玄関口として、今も重要な役割を果たしています。
この駅の特徴の一つとして挙げたいのは、列車到着時にプラットホームに流れる唱歌『美(うる)わしの志賀高原』(作詩:西沢 爽 作曲:古賀政男 唄:霧島 昇)です。澄んだ歌声は、これから向かう志賀高原の四季折々のイメージを大きく膨らませてくれます。そして、偶然にもこの歌が世に出たのは昭和32年、2000系の登場と同じ年なのです。この電車とこの歌声の組み合わせは、他のどの電車にも勝るものと思っていましたが、これも今日まで。明日からは後継の2100系にも、この歌が似合う電車に育ち、みんなに親しまれてほしいと願うばかりです。
(※ 画像は私自身の最後のD編成乗車となった2月20日(日)、11Aの湯田中駅入線シーンを旧引上線の踏切跡附近から望遠で撮影したものです。)
本当は、23B列車に乗車するか、少なくとも見送りにくらいは行きたいなと考えていたのですが、既に紹介したとおり崩した体調の回復が思わしくなく、断念せざるを得なくなりました。
D編成には、どうか最後まで無事に走りきってほしいと願うと共に、悪足掻きのようですが、まだ夏までは車籍も残り、イベント運行等の機会も残されているようですので、その時にD編成の元気な姿に再会できるのを楽しみにしておきます。
昭和39年の登場から47年間にわたる活躍、お疲れさまでした…
40‰の勾配を登りきった先は、長野電鉄の終点・湯田中駅。昭和2年に開業以来、湯田中周辺の温泉郷の、あるいは志賀高原、さらには白根火山、長野原方面への観光ルートの玄関口として、今も重要な役割を果たしています。
この駅の特徴の一つとして挙げたいのは、列車到着時にプラットホームに流れる唱歌『美(うる)わしの志賀高原』(作詩:西沢 爽 作曲:古賀政男 唄:霧島 昇)です。澄んだ歌声は、これから向かう志賀高原の四季折々のイメージを大きく膨らませてくれます。そして、偶然にもこの歌が世に出たのは昭和32年、2000系の登場と同じ年なのです。この電車とこの歌声の組み合わせは、他のどの電車にも勝るものと思っていましたが、これも今日まで。明日からは後継の2100系にも、この歌が似合う電車に育ち、みんなに親しまれてほしいと願うばかりです。
(※ 画像は私自身の最後のD編成乗車となった2月20日(日)、11Aの湯田中駅入線シーンを旧引上線の踏切跡附近から望遠で撮影したものです。)