2010/06/25
【松本電鉄】 チンチン電車浅間線の遺構
“チンチン電車バス”のネタをいくつか出したついでに…
松本電鉄浅間線のチンチン電車は、1964(昭和39)年3月末をもって廃止されましたが、その後も浅間温泉地区には鉄道時代の名残が残っていました。
その一つはコレです。
▲ 国体道路を北上し、浅間橋の東端に辿り着くと、その先は鉄道敷を転用した「松電バス専用道路」になっていました。
新浅間線(横田経由の松本~浅間温泉間のバス)の浅間橋(現:浅間温泉入口)~中浅間~浅間温泉会館(現:浅間温泉文化センター)~浅間温泉間は、鉄道時代の線路敷をそのまま(未舗装・単線幅の砂利道のまま)道路に転用し、松電バス専用道路として使用されていました。この区間は、新浅間線のバス専用となっており、砂利道だったために古い散水車が時折走っているのどかな区間でした。
しかし、松本市の都市計画事業に伴い、この区間の道路は一般道として拡幅され、現在は当時の面影を見ることはほとんどできません。
そしてもう一つ、新浅間線の中浅間のバス停は、こんなところにありました。
▲ 木造の古びた駅舎(改札を通って駅外との行き来もできました!)、そしてプラットホームが残っていた中浅間駅跡。ここをそのまま中浅間バス停として使用していました。(1991(平成3)年5月頃の撮影)
駅舎、そしてプラットホームと、鉄道時代の面影を色濃く残す遺構が1990年代初めまでは残っておりましたが、こちらもバス専用道路の一般道化に伴い、取り壊され、現在は何処にあったのかさえ見つけるのが困難になってしまいました。
同じ場所の現在と比較すると…
▲ 左端に写っている青い案内板で、信号と歩行者専用道路として赤い線で示された道で囲まれた一角が、中浅間駅跡でした。手前が松本方、奥が浅間温泉方。
▲ 中浅間駅跡に接近。手前の「つけもの喫茶」の建物の辺りに、駅舎が建っていました。
▲ “チンチン電車バス”の車内に掲出されている「松本電気鉄道浅間線電車の歴史」にも、しっかりこのことが記されています。
松本電鉄浅間線のチンチン電車は、1964(昭和39)年3月末をもって廃止されましたが、その後も浅間温泉地区には鉄道時代の名残が残っていました。
その一つはコレです。
▲ 国体道路を北上し、浅間橋の東端に辿り着くと、その先は鉄道敷を転用した「松電バス専用道路」になっていました。
新浅間線(横田経由の松本~浅間温泉間のバス)の浅間橋(現:浅間温泉入口)~中浅間~浅間温泉会館(現:浅間温泉文化センター)~浅間温泉間は、鉄道時代の線路敷をそのまま(未舗装・単線幅の砂利道のまま)道路に転用し、松電バス専用道路として使用されていました。この区間は、新浅間線のバス専用となっており、砂利道だったために古い散水車が時折走っているのどかな区間でした。
しかし、松本市の都市計画事業に伴い、この区間の道路は一般道として拡幅され、現在は当時の面影を見ることはほとんどできません。
そしてもう一つ、新浅間線の中浅間のバス停は、こんなところにありました。
▲ 木造の古びた駅舎(改札を通って駅外との行き来もできました!)、そしてプラットホームが残っていた中浅間駅跡。ここをそのまま中浅間バス停として使用していました。(1991(平成3)年5月頃の撮影)
駅舎、そしてプラットホームと、鉄道時代の面影を色濃く残す遺構が1990年代初めまでは残っておりましたが、こちらもバス専用道路の一般道化に伴い、取り壊され、現在は何処にあったのかさえ見つけるのが困難になってしまいました。
同じ場所の現在と比較すると…
▲ 左端に写っている青い案内板で、信号と歩行者専用道路として赤い線で示された道で囲まれた一角が、中浅間駅跡でした。手前が松本方、奥が浅間温泉方。
▲ 中浅間駅跡に接近。手前の「つけもの喫茶」の建物の辺りに、駅舎が建っていました。
▲ “チンチン電車バス”の車内に掲出されている「松本電気鉄道浅間線電車の歴史」にも、しっかりこのことが記されています。