【信南交通】 「ローカルバスの終点へ」を辿る(その6)

ホリデー横浜

2010年03月15日 00:11

またしても飛び飛びになってしまったこのシリーズですが、今回は最終回の“その6”をお届けします。
(参考までに、“その1”は2月19日、“その2”は2月21日、“その3”は3月2日、“その4”は3月7日、“その5”は3月10日に掲載しています。カテゴリで、“信南交通”とソートしていただければ、これまでの記事を順にご覧いただくことができます。)

前回の記事で紹介した、通年かつ終日片側交互通行の“浦の沢トンネル”を抜けてからおよそ10分、旧・南信濃村中心の和田営業所から30分の距離にあるのが、ここ“程野”の停留所です。かつて、三遠南信自動車道(国道474号)・矢筈トンネルが開通する前は、ここが平岡・和田からの路線バスの終点であり、故・宮脇俊三氏がその著書「ローカルバスの終点へ」で目指した終点でした。

当時は、ここから交通機関を使って飯田の街へ行くには、これまで辿ってきたルートを逆に平岡までバスに乗り(乗り継ぎ時間を考慮しない所要時間が約1時間)、平岡駅から飯田線に1時間以上乗らなくてはなりませんでした。つまり、通勤、通学や通院ができるような場所ではなく、ともすると日帰りするのにさえ相当な時間的制約を受けていたことだろうと思います。それが、1994年に矢筈トンネルが開通したおかげで、程野~飯田市街がバスで約1時間にまで短縮されたのです。

路線バスの終点だったとはいえ、元々国道152号が南北に貫いている場所(このまま北へ向かうと、大鹿村境の地蔵峠手前で車道としては途絶(未整備区間)していますが…)だったため、終点らしい閉塞感はなく、道路端に待合小屋とバス停が1つ(本数の都合か乗客の流れる方向ゆえか、飯田方面側の停留所で上下のものを兼ねているようです。)ポツンと建っている状態です。ここでバスが折り返していた当時、どのようにバスが転回していたかは、分かりませんでした。
(交通量もそれなりですので、やろうと思えばどこででも転回できそうですが…(^^;)




(小奇麗な印象の程野停留所と待合小屋。屋根の道路側には、「三遠南信遠山郷線バス停留所 上村・程野」の文字が。)



(屋根の側面には、都会チックなバス停のアイコンが描かれており、設置場所とのミスマッチが何となく微笑ましい(^^;)



(程野停留所の近くには、国道沿いに家や小さいながらも会社が並ぶ。向こうが矢筈トンネル方面。)



(振り返って上町・和田方面を望むと、上村川の対岸に新しい橋脚が立ち並んでいる。将来の道路改良の先行投資であろうか。)



(国道の改良もかなり進んでおり、一部を除いては比較的走り易くなっている。この場所に道幅20m、片側2車線の高速道路が必要か、些か疑問であるが…)



さて、これで「ローカルバスの終点へ」のルートを辿る目的は達せられましたが、折角ですので、矢筈トンネルへと足を進めてみたいと思います。
“矢筈トンネル”は、飯田市の隣村の喬木村と旧・上村(現・飯田市)にまたがる全長4,176mのトンネルで、1994年3月に国道474号として開通しました。将来的には、三遠南信自動車道に転用されることを前提に建設されたのが特徴で、暫定2車線の供用ながら高速道路と同規格で建設されています。
このトンネルの前後には、やはり将来的に高速道路と一般道の連絡路となる予定の“喬木インター”“程野インター”が設けられ、特に喬木インターは山中に林立する道路の橋脚と、建設途中で山にぶち当たって終わっている本線が印象的です。




(矢筈トンネルの喬木インター側入口。)



(高架の右下には、矢筈トンネル開通以前に赤石トンネルを越えて上町の集落へと抜けるのに使われていた県道251号(上飯田線)が見える。(※ 道路は今も現役です。))



(三遠南信道予定区間はここで終わり。この先の高架は山肌にぶち当たって終わりのため、全車インターのループを下りて行かなくてはならない。)



(画像中央の高架は将来、飯喬道路として天竜峡インターからの道路と接続される予定であるが、現在は山肌に当たったところで建設が終わっている。)



(山中に林立する橋脚、そして大きく弧を描いて上り下りするインターのループ。ここだけ異空間の雰囲気満点。)



飯田行きの路線バスは程野から先、“小沢橋”という停留所を通った後、程野インターから矢筈トンネルに入り、一気に喬木村へと下りていきます。小沢橋から先は、喬木村の“近藤商店前”の停留所まで約18分間、途中にバス停はありません。
“近藤商店前”から先、飯田市街まではあと約40分です。


(おわり)

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